日本の歴史には、それまでの世の中をひっくり返す出来事が何度かありました。
1192年、武士の世を作った「鎌倉幕府」
そして武士の世を終わらせ近代国家を作った「明治維新」
今日は明治維新の影で、「敗者」となった土方歳三と戊辰戦争のお話です。
目次
明治維新
実は明治維新は、世界のクーデターの中でも、犠牲者の少ない革命でした。
明治維新を作るために戦った戊辰戦争の戦死者数は約8,500人。西南戦争を含むと約3万人です。
そしてフランス革命では犠牲者は約40万人。
なぜ日本では犠牲者が少なくすんだのか。
それは「敗者」と呼ばれる人たちにありました。
鳥羽・伏見の戦い
戊辰戦争(1868~1869年)は、幕末の動乱の中、徳川の世から新政府の世へ変わるための争いです。
その発端となったのが鳥羽・伏見の戦いです。
慶応4年1月3日(1868年1月27日)、154年前の今日、大坂城から旧幕府兵が京都に向かって進撃します。
これを迎え撃つ天皇政府軍「官軍」と最初にぶつかった戦いです。
土方歳三が率いる新選組はがんばりましたが、圧倒的に優秀な武器を持っていた新政府軍が勝ちました。
この戦いによって、新政府=官軍(天皇の軍)、旧幕府=賊軍(天皇の敵)という構図ができあがります。
こうして鳥羽・伏見の戦いは終わります。
江戸城無血開城
官軍は江戸に迫ります。
西郷隆盛と勝海舟の会談によって、旧幕府側が江戸城を根拠に戦うことをあきらめて、無血開城します。
戦わずして江戸城を官軍に明け渡したのです。
上野戦争
納得のいかない若い連中が上野の山にこもって抵抗した、いわゆる「上野戦争」が起こります。
しかしこれまた大村益次郎たちの指揮する政府軍によって鎮圧されます。
大村益次郎は1977年のNHK大河ドラマ『花神』の主人公です。視聴率は当時としては振るわなかったものの、原作者の司馬遼太郎氏は絶賛し、また後に『新選組!』の脚本家である三谷幸喜氏もこの作品を支持されているそうです。
箱館戦争
上野戦争後も納得がいかない
東北地方を根拠にさらに抵抗を続け、仙台で土方歳三と合流。それからさらに軍艦を率いて、戊辰戦争最後の舞台箱館に逃げ込みます。
榎本武揚は「蝦夷地に赴きそこで朝廷に嘆願し、脱走した者たちで蝦夷を開拓したい。by『復古記』」という希望をもっていたのです。
五島軒
函館に「五島軒」という老舗レストランがあります。有名ですから北海道外の方もご存じの方が多いかと思います。
「五島軒」の初代料理長の
軍艦「蟠竜」で海上から土方を砲撃支援しました。
戦争後、戦いで傷ついた五島英吉は箱館市民に助けられ、地元の教会に運ばれます。その教会で五島は料理を習い、10年後自らの名前をつけたレストラン「
五稜郭にて
土方歳三は盟友近藤勇が亡くなった後も新政府と戦うことを選びます。
榎本武揚は諸外国の領事に声明文を出しています。
諸外国はこれを受け入れ中立を守ります。←要するに高見の見物?
榎本武揚は開陽丸で海から攻撃しようとしますが、暴風雨に襲われ座礁し沈没してしまいます。
沈みゆく開陽丸を土方と榎本は嘆きながら見つめることとなります。
開陽丸が沈んでしまったことで諸外国が榎本政権の軍事力に見切りをつけ、中立を撤回。
アメリカは新政府軍に最新の軍艦「甲鉄」を売ります。
1869(明治2)年、新政府軍が蝦夷地の攻略を開始、箱館へと進軍します。
新政府軍が「甲鉄」を要し制海権を握り、旧幕府軍は苦戦します。
海から離れた山の中にいる土方たちは善戦するのですが、他の地域では敗北。
孤立した森陣明らを救援するために土方は向かいます。「突撃せよ!」の声の直後に一発の銃弾が腹部に命中し、35歳の土方歳三は亡くなるのです。
死を覚悟していた榎本武揚ですが、その後長く生きることになります。
この話しはまた近いうちに。
映画『燃えよ剣』で土方歳三を演じる岡田准一さんがナビゲーターを務めたNHKBS『プロファイラーIF』を解説しました。
死を覚悟して妻に手紙を送った榎本武揚でしたが、土方歳三は生涯独身でした。
しかし10代の頃女性問題で仕事をクビになったり、許嫁をふったりと恋愛問題は多々ありました。