松平容保が登場した作品で印象に残っているのはNHK大河ドラマ『八重の桜』
綾野剛さんが演じられました。
先日私はAmazonプライムで、『燃えよ剣』を視聴しまして、その時の松平容保は尾上右近さん。
目次
松平容保
母親は側室で、決して身分の高い女性ではありませんでした。
京都守護職
すでに会津藩の財政は火の車でしたし、京都守護職就任は家臣の反対もありました。容保本人も乗り気ではありませんでした。
なぜ会津藩が選ばれたのでしょう。
おそらく、京と縁が薄かったからではないかと。
損得利害で政治をしてはいけない。養子の身分で、藩を守らなければならない立場の容保は京都守護職を引き受けます。
公武合体
近藤勇、土方歳三、沖田総司などの新選組を容保は京の治安にあたらせます。
つまり汚れ仕事を新選組がやるってことで(・・;)
イケイケの長州系を嫌っていた孝明天皇ですが、容保とは相性があったようですよ。
上に天皇がいて、将軍が一緒になって政治をする。その下に有力大名がいる。それが孝明天皇が望んだ公武合体です。
長州征伐
元治元(1864)年7月19日、禁門の変。
会津藩から「国(会津)に戻ってきて~」と懇願されても、容保は京での使命がまだあるからと残留を決意します。
一度屈服した長州藩では、穏健派に代わって、討幕派の高杉晋作たちが主導権を握ります。
長州は「自分たちの敵は会津である」と、敵を絞ります。
容保の知らないところで、薩長が動きます。
慶応2(1866)年1月21日、坂本龍馬が仲介して、秘密のうちに薩長同盟成立。
そんな薩長に一橋慶喜は激怒。第二次長州征伐へと進みます。イギリスと薩摩藩のバックアップを受けて、長州は本気で抵抗します。
将軍家茂が病死したこともあり、幕府は敗北します。おまけに年末には孝明天皇が崩御。
戊辰戦争
そして慶応4(1868)年に鳥羽伏見の戦いが始まります。
「朝敵」と名指しされた慶喜は戦意を喪失。
慶喜は容保を伴って、江戸へ帰ってしまいます。
この逃避行は「誠に失策の至りであった」と容保は語っています。
旧幕府軍は「賊軍」、国家の反逆者という烙印を押されたのです。
薩長側は旧幕府勢力に反逆者の烙印を押すことに成功したのですね。
明治時代
会津戦争の降伏の後、死罪を免れた容保は、会津の罪のない人たちを死に追いやった後悔を抱え、日光東照宮の宮司として明治を生きます。
兄である旧尾張藩主徳川慶勝から容保に尾張徳川家相続の話がもちかけられますが「自分の不徳から起こった幕末の動乱で苦難を被った人々のことを思うと、自分だけが会津を離れて他家を接ぐわけにはいかない。」と辞退します。
容保は明治26(1893)年12月5日、59歳で亡くなります。
129年前の今日です。
映画「燃えよ剣」
箱館には、幕末にオランダ式の近代的な築城法で造った星形の「五稜郭」という城があり、ここで抵抗を続けます。
映画の「燃えよ剣」は前半、新選組の過激な行動がちょっと目を覆いたくなりました。
とくに芹沢鴨(・・;)
終盤、箱館戦争のあたりはおもしろかったです。
主演の岡田准一さんは、土方歳三そのものでした。とくに髷を落としてからの髪型が似あってたな。
長州と薩摩