一昨日、結婚記念の写真を長男夫妻がホテルニューオータニの日本庭園で撮りました。
その時にお嫁さんが着た振袖は、お嫁さんのお母様のお祖母様が愛用していたものでした。
作ったのはおそらく100年前であろうということです。
先月の「天皇陛下御即位を祝う国民祭典」で祝賀コメントを立派に読み上げた芦田愛菜さんが着ていたのが、鈴乃屋が提供したという100年前のアンティークな振袖でした。
染め、織り、刺繍をふんだんに使用した「門外不出」の振袖だそうです。
その着物にどこか似ているお嫁さんの振袖。
先方のお母様は、山口県の出身。
幕末から明治維新にかけて活躍した、たくさんの志士を輩出した長州藩です。(今の総理大臣もね)
100年前、この着物が作られた時、北海道はというと。
まだまだ開拓の時期。
女性もきっとボロボロのモンペを着て働いていたのではないでしょうか。
初期の北海道開拓を担ったのは、明治維新で禄を失った武士たちでした。
幕末の動乱期に幕府方に付いた仙台藩は、「朝敵」の汚名を払拭すべく、積極的に北海道開拓の呼びかけに応えました。
仙台藩亘理領主伊達邦成主従は有珠に移り、北海道伊達市の基礎を築きます。
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さらに仙台藩からは、当別(現当別町)に入植した岩出山領主伊達国直主従、札幌市の手稲と白石の基礎を築いた白石領主片倉邦憲主従、登別市の基礎を築いた角田領主石川邦光主従などが北海道に渡りました。
片倉邦憲の先祖は、真田幸村と血縁が繋がります。真田幸村の娘阿梅は片倉小十郎(片倉重長)の継室となります。この片倉家の子孫が何百年もの時を経て、札幌市の白石区を作ったのです。
また戊辰戦争によって廃藩となった旧会津藩の藩士たちも多数北海道に入植しました。
なかには官軍側に付いたことで本藩と対立し、静内(現・新ひだか町)に移住した淡路国州本城代稲田邦植主従のような例もありました。
これら士族の移民は、開拓を通して国に貢献したい、家名再興を果たしたいという意志が強く、北海道の厳しい環境にも耐えました。
彼らの苦闘は、現在の北海道のいくつもの町の基盤となっていきました。
北海道開拓史は面白い。
やはり、大学の卒論のテーマは「北海道開拓史」にしようか。
史料がたくさんありそう。