永禄7(1564)年。
義輝、イケイケドンドンなるか!?
解説したい事項が盛りだくさん!
いくぜ、いくぜ!
目次
『麒麟がくる』第23回「義輝、夏の終わりに」あらすじ
「義輝、夏の終わりに」なんて、向井理氏の寂しげな表情にぴったりの♡ロ~マンティックなサブタイトル。
義輝に信長を上洛させよとの命をうけた光秀。尾張へ行くも信長には相手にされず、そこで木下藤吉郎から「義輝闇討ち」の噂を聞き、それを阻止しようと松永久秀に会いに多聞山城へと奔走する。結局何もできなかった光秀は義輝にその旨報告して越前の家族の元へ帰る。駒は後の将軍義昭と親しくなり、これからますます歴史の本筋に絡んでくる予感。
信長の美濃政略
土豪とは?
美濃では、ナレ死した斎藤義龍の子龍興が跡目を継いでいます。これが意外に手ごわい。
美濃三人衆こと稲葉・安藤・氏家らの武将に助けられた龍興軍の防備はかたかったのです。
ドラマではこの先、ここんとこやるかどうかわかりませんが、信長が稲葉山城を攻撃して斎藤氏を滅ぼすのは永禄10年のこと。道三が亡くなって11年めのことです。
この美濃攻めに活躍するのが木下藤吉郎です。
斎藤道三の幕下の美濃三人衆は、藤吉郎に
これってさ、道三の霊が信長の勝利へと導かせたのかな。
木下藤吉郎の立身出世
斎藤道三はしがない油売りの行商人から、わずか十数年で美濃一国の国主になりました。
明智光秀は一介の浪人から(現在進行形)近江国の志賀・高島二郡を領する坂本城主になるまでには、ほんの数年しかかかっていません。
木下藤吉郎、後の豊臣秀吉が光秀とほぼ同格の近江長浜12万石の城主になったのは天正2(1574)年のことで、草履取りとして信長に仕えて以来20年目のことです。
秀吉は与えられた仕事(美濃攻めもそうです)に全力を傾注することで、一歩一歩堅実に出世街道を踏み固めていったのです。
木下藤吉郎は仲間に言いました。
「おれはようやく300石もらえるようになった。それで今度は600石にもらえるようになるのが望みだ。」
これこそ昨日のブログの『大きな目標より小さな習慣』に通じています。
木下藤吉郎、大きな目標より、目の前の仕事・・・といったところでしょうか。
義輝、夏の終わりに
なんだか若くして濡れ落ち葉のような足利義輝ですが、向井理氏が演じると色っぽく悲しい。
大役を果たせず京へ戻った光秀に義輝は言うのです。
「夏は終わった。短くはあったが、ようわしに仕えてくれた。礼を言うぞ。欲を言えば、もそっと早うに会いたかった。」
結局、光秀はな~んにもできなかったね。
「十兵衛、また会おう。」という義輝。会えるのかなぁ。
母、牧の行く末
光秀が越前に帰った時、笑顔で迎える母牧を見て、彼女のこの先の辛い最期を思わずにいられません。
信長から丹波攻めを仰せつかった光秀は、城主波多野秀治に自分の実母牧を人質に出し、秀治を降伏させることに成功します。
降伏に応じる秀治を信長は処刑してしまいます。
激怒した秀治の家臣らが、牧を磔にして殺害してしまうのです。
その母牧の磔を導いた信長への怨恨から、本能寺の変を起こしたともいわれています。
ただこの「光秀の母人質説」伝承は史実なのか疑問視する歴史家も多く、真実かどうかは謎です。
『麒麟がくる』ではどう描くのかな。
壮絶な最期は悲しかった。
最後に、茶の振売
京に帰った駒に優しく声をかける男性。
以前にも登場していますが、キャスティングには「茶の振売」とあり、名前はないようです。
演じてらっしゃるのは濱津隆之さん。
大人気映画『カメラを止めるな』の主演男優さんですね。
名もない茶の振売だけど、存在感あるぜ~い。
これからも出てくるかな。
振売・振り売り・振売り(ふりうり)は、近世までの日本で盛んに行われていた商業の一形態である。 ざる、木桶、木箱、カゴを前後に取り付けた天秤棒を振り担いで商品またはサービスを売り歩く様からこう呼ばれる。Wikipediaより引用
コロナ禍は終息する様子はなく、ウイズコロナの中での撮影は大変だと思います。
でもなんとか本能寺の変までがんばってドラマを続けてほしい!
切に願います。
まだ暑いですが、それでもずいぶんと風が吹くようになりました。
朝晩の冷え込みにお気をつけください。
最後までお読みくださりありがとうございました。