足利義昭の思いが、語られる。
いろいろと理想があるのです。
そして初登場筒井順慶は素晴らしかった。敵なのか味方なのか。
でも私はほとんど台詞のなかった柴田勝家と佐久間信盛の合戦シーンが心に残りましたけどね。
目次
『麒麟がくる』第32回「反撃の2百挺」あらすじ
明智光秀の家族が京の館に到着する。光秀は木下藤吉郎と共に今井宗久に銃の調達を頼むが断られ、筒井順慶に直談判して2百挺の銃を手に入れる。姉川の合戦に勝利した後信長の思いは比叡山へと向けられるのだった。
筒井順慶と会う
鉄砲を手に入れるために茶会に参加する
光秀は今井宗久が開く茶会に参加することになります。
「茶を?」と不思議そうな藤吉郎。
「宗久どのは商人でもあり、茶人でもある。」と光秀。
今井宗久は、千利休、津田宗及とともに茶湯の天下三宗匠と呼ばれました。
宗久は
この時点で、藤吉郎は茶の心得がなかったのかと思われます。
藤吉郎は堺の宿で一生懸命茶の心得を学びます。その様子がちょっと可愛い(笑)
後に黄金の茶室を造るまでにハマるんだけど。
お調子者の藤吉郎
木下藤吉郎は初対面の筒井順慶に「わしなど(光秀に)一生ついてまいろうと思います!」とガハハと笑って、光秀を持ち上げます。調子いい奴め!
そこで間髪を入れずに、光秀は「思うてもおらんくせに。」と言う。
藤吉郎「最後の方は口が滑りました!」
この短い掛け合い好きだった!
光秀は、セールストークが上手い藤吉郎にのっかかるような単純な性格ではありません。
駒の思い
駒は視聴者が思っていることを自虐的に光秀に打ち明けます。
「近頃、自分が身の丈にあわぬことをしているような気がして。このなりも私にはどうにも身につかぬ気がして。」
これはネットで駒に対するクレームが激しいことへの門脇麦さんの本心ではないのか?…と私なんぞは案じてしまいましたが。
光秀は「よくお似合いと存じます。よろずお気になさらぬことです。」と優しく慰めます。
「よろず」という言葉は、あとで家康も使いました。
万(よろず)とは。
1 1000の10倍。まん。
2 数が非常に多いこと。たくさん。「万の神に祈る」「万の人々」
3 すべてのこと。万事。副詞的にも用いる。「万の相談事」「万承ります」
4 種類や形がさまざまであること。いろいろ。
goo辞書より引用
姉川の戦い
ネットではまた批判の嵐…?
「合戦シーンをすっ飛ばした」と。
姉川の戦いは武将たちのイケメンアップと信長の雄たけびで終わりました。
コロナ禍であること。莫大な費用がかかること。そういった事情を考慮しますが、それ以上に合戦好きばかりの視聴者ばかりではないことをご理解いただきたい。
時系列での姉川の戦い
史実の姉川の合戦について、ちょっと説明させてください。
元亀元(1570)年6月28日の未明にまず浅井・朝倉軍が南進して、姉川を前にあてて、二手に分かれて布陣した。
家康軍は西方から朝倉軍に攻めかかり、信長軍は東方の浅井軍と戦いをはじめた。
双方は押しつ返しつ、入りみだれて戦ったが、ついに信長方が勝利を得た。
姉川の戦いその後
姉川の戦いで敗れたとはいえ、浅井・朝倉の反信長同盟の成立は、信長の勢力伸張に不安・不満をもつ人々に勇気を与えた。
阿波に逃れて反撃の機をうかがっていた三好三人衆は、まもなく行動を開始し、摂津に入って、大阪本願寺の西方、野田・福島(大阪市)の城にたて籠った。『
同じころ筒井順慶が大和で松永久秀に敵対して活発な動きを始める。
信長は三好三人衆を攻めるため8月20日に岐阜を出発した。
9月に入ると包囲網をちぢめ、大鉄砲を継碑込むなどして激しい攻撃を加えた。
参考文献
どうもピントがずれてる足利義昭
義昭にとって三好三人衆は兄の仇。
声高らかに義昭は叫びます。
「我が枕元に一匹に百足があゆみおってきた。これはめでたきしるしぞ!百足は決してあとには退かん。三好の一党に打ち勝つとの神仏のお告げとみたぞ!」(最後声が裏返っていた💦)
それを聞いている信長の表情が気になる…
戦から帰還した義昭、駒へのお土産は
ドヤ顔で、駒に虫かごにいる
トンボ?
えぇ、トンボです。
一時は仏門に入っていたお方が、トンボを生け捕りにして好きな女へのお土産にしました。
足利義昭…どんだけ昆虫好きなんだよ!え?ムカデは昆虫じゃないって?
今回もドラマの最後、信長と光秀ふたりの会話シーンがあります。
背中にリュックサックのように仏像を背負う信長。
ブッダへの皮肉?
元亀2(1571)年8月、信長は江北に出陣して一揆勢と戦い、ついでに江南に進んで一揆の立て籠る金森寺内を攻めて降すと、9月12日比叡山の焼き討ちを敢行するのです。
近年の研究により、比叡山焼き討ちは信長の残虐性の象徴だけでは語られなくなっています。
それを頭のすみにおいて来週第33回「比叡山に棲む魔物」を楽しみましょう。