今から363年前の10月25日。
日本の歴史上最大規模の一揆が起こった。
それは一揆から内戦へと発展した。
「島原の乱」である。
天草四郎という名で知られるが、本名は益田四郎?洗礼名はフランシスコ?
天草四郎時貞の父は益田甚兵衛好次といい、キリシタン大名として名高い小西行長に仕えていた。
小西行長は関ケ原の合戦に敗れ、処刑されたが、その20数年後に天草四郎は生まれた。
といってもこれは島原の乱勃発の寛永14(1637)年に15歳、もしくは16歳であったと伝えられることから、おそらく元和9(1623)年あたりに生まれたのであろうという推測にすぎない。
寛永14年10月25日(1637年12月11日)、有馬村のキリシタンが中心になって代官所に強談に赴き、宗旨の仇として代官・林兵左衛門を殺害、ここに島原の乱が勃発したのである。
この内戦で、『麒麟がくる』の明智光秀の孫が命を落としている。
明智光秀の娘(藤、細川ガラシャの姉)が母といわれる三宅重利は、元々キリシタンであったが、棄教し、富岡城代として天草四郎率いる一揆勢と戦ったが敗れ自害している。
翌年2月28日、総攻撃の時天草四郎時貞は本丸で手を負って亡くなった。その衣類が美しかったので、肥後細川藩士
肥後細川藩といえば、今『麒麟がくる』で活躍中の細川藤孝(眞島秀和氏演)の子孫であり、あの元ソーリもりひろさんを輩出したお家柄ですね。
島原の乱は、江戸幕府が経験する最後の本格的戦争であり、以後戊辰戦争に至る230年間、紛争は記録されていない。
そう考えると江戸時代というのは、世界史に類をみない太平の時代だったのかもしれない。
そしてその長きにわたり、キリシタン弾圧の中、信仰を続けたいわゆる「隠れキリシタン」が存在していたことが評価されての2018年世界遺産登録といえる。
今日が10月25日ということで、「島原の乱」について述べさせていただきましたが、思いがけず『麒麟がくる』のキーワードが2つも出てきました。
だから歴史っておもしろい。
さ、『麒麟がくる』観ようっと!