NHKBSプレミアム「英雄たちの選択」で、29歳の徳川家康がとても多忙であったと考察していました。
1570年。永禄から元亀に改元された年です。
家康が最も忙しく過酷であった1年です。
目次
姉ヶ崎の戦い
越前への出陣
永禄13(1570)年4月20日。
京都にいた織田信長は、もともとあまり関係が良くなかった朝倉義景のいる越前国に30,000の兵を率いて進軍します。
453年前の今日です。
家康は城作りでとても忙しかったのですが、信長の命により、否応が無しに越前への遠征に組み込まれることになります。
足利義昭は朝廷を説得するために下行費用の名目で5,000疋もの朝廷への献金を実施し、4月23日には元亀に改元しています。
4月25日。
家康は朝倉領土越前国の玄関口である天筒山城を一気呵成に攻め立てます。
金ヶ崎の退き口
しかし。
この裏切りを知った信長は撤退を開始、世に言う「金ケ崎の退き口」を経て信長の家臣たちは退却します。
徳川軍も信長の後を追い、撤退を開始、命からがら岡崎城への帰還をようやく果たしたのは5月でした。
姉川への出陣
6月には、また信長から出陣要請を受けた家康。
裏切者浅井長政を攻めるためです。
姉川の戦いです。
浅井方には朝倉率いる援軍が合流し、その数13,000。
家康は榊原康正に命じて側面から攻めさせ、石川数正など家康の有力家臣団が参戦します。
結果的に織田・徳川側が勝利します。
劣勢だった織田軍を徳川軍によって覆したという説は、後の徳川家による脚色があるのではないかと推察されます。
将軍義昭からの出陣要請
浜松城築城などもあり休む間もない家康、3度めの出陣要請は9月。なんと将軍足利義昭からです。
浜松城入城直後です。
9月14日付けの文書。
信長は家康の出陣は無用と考えていましたが、将軍足利義昭は三好三人衆との戦いに加勢せよと家康に命じてきたのです。
「もう~~~。信長殿は援軍無用と言ってるのに。三好三人衆との戦いなんて、勝っても自分に何の利益もないのに。でも将軍様直々の命とあらば、受けないわけにいかないじゃん!」(家康心の声)
家康は将軍の要請に応じて、15,000もの援軍を出し、信長からも将軍からも信頼を得ることになります。
お市の方と浅井長政
大河ドラマ「どうする家康」でお市の方を演じているのは北川景子さん。
北川景子さんは、「西郷どん」の時の篤姫もとても似合っていましたが、北川景子さんは現代ドラマより時代劇の方が、美しさとオーラがパワーアップするような気がします。
浅井長政を演じてられる大貫勇輔さんもいいな。踊り出しそうだけど。
どうする家康
4月2日の第13回「家康、都へ行く」、4月16日の第14回「金ヶ崎でどうする」どちらも良い回でした。
第13回では、優しく茶々を抱っこする家康、五徳姫と楽しそうに語らう築山殿と信康。
いずれも後に命を奪うことになるわけで、見ていて切なかったです。
江戸幕府3代将軍徳川家光は、家康の孫であり、お市の方の孫でもあります。
「どうする家康」での若き日の家康とお市の方の関係は、それを踏まえた伏線ということになるのかと思います。
1570年、29歳の家康は、多忙ではありましたが人生の大きなターニングポイントで、信長と足利義昭からの信頼を得ることができました。
しかし武田信玄を敵に回すことになり、いよいよ対決の時がせまってきます。