歴史上、非業の死を遂げた人物に「生存説」はつきものです。
お市の方が
明智光秀が僧・天海になったとか。
2020年大河ドラマ「麒麟がくる」では、「あれ?もしかして光秀生きてる?」みたいな最終回でした。
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築山殿生存説
今年の大河ドラマ『どうする家康』で良妻賢母の描き方をされている築山殿。
彼女は、息子の死を阻止しようと翻弄した末に殺されたという説が一般的です。
しかし、築山殿にも生存説があります。
身代わりとなって殺されたのは殉死したとされる侍女河井某で、築山殿は生きのび、寿桂尼(今川義元の母)の墓の世話をしていた比丘尼が実は彼女であったと。
寿桂尼、「おんな城主 直虎」では浅丘ルリ子さんが演じていらっしゃいましたね。
『どうする家康』で、築山殿生存説が採用される可能性は少ないでしょうね。
豊臣秀頼生存説
リチャード・コックスの日記
リチャード・コックスの1615年6月15日の日記に次のように記されています。
408年前の今日ですね。
「豊臣秀頼様の遺骸は遂に発見せられず、従って、彼は密かに脱走せしなりと信じるもの少なからず。皇帝(徳川家康)は、日本全国に命を発して、大坂焼亡の際に城を脱出せし輩を捜索せしめたり。因って平戸の家は、すべて内偵せられ、各戸に宿泊する他郷人調査の実際の報告は、法官に呈せられたり。」
Wikipedeiaより
大坂夏の陣の後、豊臣秀頼を庇ってるのではないかと、平戸のイギリス商館が疑われたわけです。
真田幸村
大坂夏の陣で滅びたとされる豊臣家。
しかし、庶民の間でもまことしやかに流れた噂がありました。
豊臣家とともに散った真田幸村(信繁)。
豊臣秀頼は幸村とともに大坂城を脱出し、鹿児島へ逃げて生き延びたのだと。
京都のわらべうた
そして京都ではわらべうたが流行りました。
花のようなる秀頼様を
鬼のようなる真田が連れて
退き退いたり鹿児島へ
いつまでも生き続けてほしい。
その思いが生存説として語り継がれるのかもしれません。