暮らしと勉強、猫と一緒に~Bettyのブログ

実家の母を介護するために北海道から引っ越してきました。その介護も終わり、片づけと大学通信教育部の勉強と猫と。そんな雑記ブログです。当サイトはアフィリエイト広告を利用しています。

現在の世界史の教科書と40年前の「中国史」

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20世紀になったばかりの1901年。

明治34年8月4日に宮﨑市定みやざきいちさだは生まれました。

122年前の今日です。

生まれたのは長野県下水内郡秋津村。現在の飯山市です。

 

誰?宮﨑市定って誰?

 

目次

 

宮﨑市定の経歴

父親は飯山小学校の教師でした。

宮﨑市定は松本高校(現信州大学)文科甲類を卒業すると、京都帝国大学文学部史学科に入学、東洋史を専攻します。

内藤湖南らに師事し、中国古代史を研究します。

 

宮﨑市定の晩年

留学後、京都帝国大学文学部教授になり、昭和40(1965)年に定年退官後は名誉教授となります。

退官後は吉田山東麓の自宅にて著述活動に専念、「中国史を執筆します。

宮﨑市定は平成7(1995)年に亡くなりますが、90歳代になっても東洋史論文を書く筆力が健在だったそうです。

 

40年前に書かれた「中国史

宮﨑市定が40年も前に書いた「中国史

 

 
実は40年あまり前に書かれた「中国史」の内容と今の「世界史B」の教科書に見える南宋時代の記述とにそれほどの違いはありません。

つまり、近年の研究成果が教科書の記述に採用されるほどに、まだ普遍化されていないのですね。
決して南宋時代の研究が宮﨑市定の「中国史」以降全く進まなかったわけではありません。

しかしそうした研究成果が教科書の記述に採用されるほどにはなっていないのです。

 

www.betty0918.biz

 

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宮﨑市定の卒業論文は、北方民族と中国社会との交渉の一場面としての南宋滅亡期を題目としたそうです。

 

そういえば、Betty さんの卒論はどうなった?

 

私の卒論はもう少し時間がかかりそうです(・・;)