源頼朝が平家を滅ぼし、北条氏が実権を握るまでを描いた昨年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」
平家は物語の序盤で滅びました。
2012年の大河ドラマ「平清盛」を私は視聴していません。当時私はものすごく忙しかったのです。
松山ケンイチさんの演技は魅力的ですし、コアなファンも多いと聞きますので、NHKオンデマンドで視聴してみたいという思いはあるのですが、どうもあの暗い画面が苦手です。
「平清盛」の画面が暗いのは当時のイメージを忠実に再現しているのであり、京都の汚い様子も史実なのだと大学の先生が講義の中で説明していました。
貴族が平和に政権を握っていた平安時代。
武士が台頭した鎌倉時代。
その隙間に存在していた平氏と源氏。
しかし、ヤンキー源氏に比べて、お坊ちゃま平氏は今ひとつ人気がないような気がいたします。
目次
平氏のイメージは『平家物語』に作られた?
勇猛な坂東武者を擁する源氏とは対照的に貴族化した軟弱者といった印象が強い平氏。
このイメージは『平家物語』によって形づくられたのではないかというのは大阪大学教授の川合康氏。
平家物語は「盛者必衰のことわり」から平家一門の滅亡を語るのが主題なので、様々な場面で平家の弱さが強調されています。
富士川合戦
治承4(1180)年10月20日に駿河国富士川で源頼朝、武田信義と平維盛が戦った富士川合戦。
843年前の今日です。
石橋山の戦いで敗れた源頼朝は安房国で再挙し、進軍しながら東国武士がこれに参集して大軍に膨れ上がり、鎌倉入りします。
この両者が駿河国で合流し、都から派遣された平維盛率いる追討軍と戦うのです。
平氏4千騎、源氏4万騎。
この圧倒的な兵力の差。
源氏が勝利します。
源平合戦の真実は?
歴史学でいう治承・寿永の内乱での源平合戦のイメージは、平家の公達が勇猛な鎌倉武士に打ち負かされる『平家物語』によって作られ、人々はそれを史実と認識します。
源頼朝が統合した鎌倉武士は、それまでの土地支配の枠組みに一石を投じるなどして支持層の要望に応え、朝廷に対する「健全なる野党」となっていきます。
一方、変革期の政治的・社会的矛盾が平家のせいになり、その結果全国に反乱が広がったわけです。
平家は時代に敗れたのかもしれません。