暮らしと勉強、猫と一緒に~Bettyのブログ

実家の母を介護するために北海道から引っ越してきました。その介護も終わり、片づけと大学通信教育部の勉強と猫と。そんな雑記ブログです。当サイトはアフィリエイト広告を利用しています。

もうひとりの悲劇の弟、源範頼~『鎌倉殿の13人』

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NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』、いろいろな登場人物が出てきますね。

とくに源頼朝の弟たちが次から次へと現れます。

第10回「根拠なき自信」では、源兄弟の飲み会がまるでウルトラ兄弟の集結のようだとネットで話題になっていました。

 

源義経くんは、やりたい放題で言いたいこと言ってます。

なんせ後ろ盾は奥州藤原氏ですから、後ろ盾のない兄たちより、ちょっと態度デカイ?

兄である源範頼に向かって、「そちら(の母)は確か遊女でしたよね。」と見下した言い方をする九男の義経くん。

その発言にキレるわけでもなく、苦笑いで流す範頼。

源範頼の母は本当に遊女なんですか?

ちょっと調べてみましょう。

私は『鎌倉殿の13人』のネタバレは存じ上げませんが、今日の記事には史実としてのネタバレがございますので、ご注意ください。

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目次

 

六男、源範頼

源義経といえば、兄源頼朝によって殺された悲劇の弟です。

でも悲劇の弟は義経だけではありません。

 

範頼の出自

源範頼みなもとののりよりは、源義朝の六男で、母は遠江国池田宿の遊女とされています。しかしその出生は定かではなく、池田宿の有力者の娘という説もあります。

頼朝の母は熱田大宮司のお嬢さんです。義経の母常盤御前天皇の奥さんに仕える下働きの身分の低い出ですが、範頼の母はもっと身分が低いと考えられます。

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熱田神宮
範頼の活躍

範頼は、頼朝の挙兵直後から合流しており、1184年には木曾義仲の追討作戦を義経と一緒に行っています。

木曾義仲については3月4日にブログにしました。

www.betty0918.biz

対平家の一ノ谷の戦いでも義経と一緒に連携プレーで活躍しています。総指揮は義経ではなく範頼でした。

この後、平家滅亡をはさんで義経は兄頼朝と対立していきますが、範頼は兄に忠実でした。

義経が文治5(1189)年に自害した後、範頼は奥州合戦に出征しますが、これが最後の参戦となります。

 

範頼の最期

建久4(1193)年5月28日に曾我兄弟の仇討ちが起こり、源頼朝が倒れたとの誤報が入ります。

この時嘆き悲しんだ頼朝の妻政子に対し、範頼が「姉さん、僕がいるから大丈夫だよ。」と慰めたといいます。

その言葉が誤解され「コイツ、頼朝さまの後釜を狙ってるわけ?」と政子に疑われてしまうのです。 

そんな誤解ってある? 北条政子の陰謀じゃないの?

その後、誤解を解くべく、範頼は頼朝にお手紙を出します。

そのお手紙に「源範頼」と、源姓を名乗ったことで頼朝の逆鱗に触れます。

こうして範頼は伊豆に流されるのです。

範頼が流罪になった理由がいまひとつわかりません。

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範頼の伝説

伊豆国修禅寺に幽閉された範頼。

吾妻鏡』ではここまでです。

 

 

一説によると誅殺されたとか。

しかし誅殺を裏付ける史料がないため、さまざまな伝説があります。

越前へ逃げ、そこで生き延びたとか。

武蔵国横見郡吉見の吉見観音に隠れ住んだとか。

もしくは武蔵国足立郡石戸宿には石戸に逃れたという伝説も。

伊予国の上吾に逃れたという説もあります。墓所もあります。

神奈川県横浜市の太寧寺に源範頼のお墓があります。

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太寧寺

 

「追浜」という地名

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神奈川県横須賀市に「追浜」という地名があります。

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「追浜」と書いて。

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「おっぱま」と読みます。

 

追浜おっぱまの地名の由来は鎌倉方から追われた範頼がここに上陸した為といわれています。

横浜市金沢区・追浜・逗子には「蒲」や「蒲谷」姓が多い。これは、生まれ育った地名をとって蒲冠者と呼ばれた範頼が、助けてくれた村の人達に「蒲」の使用を許したことに由来する。神奈川県タウンニュースより引用

 

まとめ

『鎌倉殿の13人』では、義経と比べて、範頼は戦能力のないパッとしない人物のように描かれていました。

源平盛衰記』に範頼は凡将・無能というように記述されていますが、正確性は低いと判断する研究者もいます。

私の勝手な想像として(願望というか)義経追討の命にそむいたといわれる範頼は、きっと心の優しい弟思いの武将だったのではないでしょうか。

 

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賛否両論あるかと思いますが、『鎌倉殿の13人』私はとても面白いです。

忘れていた『草燃える』の物語も蘇ってきます。

今はまだ目立たない存在の北条義時

彼以外にも、源頼朝を取り巻く登場人物それぞれに興味があります。

 

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