家の中のいろいろ、あちこちを少しずつ片づけています。
ノート類を整理していると、日記が出てきました。
父の日記や母の日記ではありません。
妹の日記です。
妹の日記…といっても、母の様子を記した「介護日記」です。
妹は私が母と同居する前に、近所の自宅と母の家との二拠点生活をして、2年7か月、母の介護をしていました。
介護日記は、母89歳の時の様子です。
その頃から、母の言動に「認知」が見え隠れして、そんな母の認知症状態をメモしていたのです。
母の不思議ちゃん発言はいろいろあって。
- 何か変なものが入ってきたの。犬や猫じゃないわ。なんていうか軟体動物が部屋に入ってきたのよ。
- (妹に向かって)あんた、誰?
- お正月は学校あるの?書き初めはどうするの?(妹を子供だと思っているらしい)
- 誰かに紹介されて、林先生(「今でしょ!」の林先生)に会ったわ。
- お父さん、見た? あら、私ボケてる?(父はすでに亡くなっている)
- TVの東出昌大を見て「私、会ったことあるのよ。まだ売れてない頃に。」
- 朝起きぬけに「寝坊しちゃった。みそ汁作るから、煮干しを用意しなくちゃ。」(母はもうこの頃は自分で料理をしていないのに。母は若い頃からずっとみそ汁のだしは煮干しでとっていた)
- (妹の部屋にきて)「あんた、風呂行った? 私もお風呂に(銭湯)行こう…あ、
家 風呂だった!」私が小学校2年生になるまで、わが家は狭いアパートに住んでいてお風呂は銭湯に通っていたのです。
こういった不思議ちゃん発言は、月に2~3度あったようです。
私が母と同居したのは、母が91歳になる少し前でしたが、その頃にはけっこう認知は進行していましたね。
認知症は大変ですが、認知症のおかげで介護する側も介護される側も助かっていた部分はありました。
徘徊や暴力的行動がなかったことは幸いでした。
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