夏目漱石は大正5(1916)年12月9日に亡くなりました。
107年前の今日です。
目次
「夏目漱石の妻」
本放送は2016年。漱石没100年の年です。
明治という激動の時代を駆け抜け、夫婦として成長していく姿を、夏目漱石の妻。鏡子の視点から描いたドラマです。
ユーモアを交えながら描いているのですが、几帳面で気難し屋の漱石に、現代人の私にはまったく共感できない。
朝寝坊でズボラな鏡子もどうかと思うけど。
それでも時に家族に暴力を振るう漱石は、自分が親の愛情を知らずに生きてきたとはいえ、それが素晴らしい小説を世に残す天才ゆえの狂気だとしても、幼い娘までに手をあげるというのは、許せませんでした。
この2人は大河ドラマ「麒麟がくる」の明智光秀と伊呂波太夫やん。
漱石の精神状態は
小説家になる以前の夏目漱石は、精神状態が不安定でした。
イギリス留学中には引き籠って研究をしており、尋常でない様子に周囲はヤキモキ、漱石を急遽帰国させていたのです。
しかし、帰国しても良い状態にはなりませんでした。
第一高等学校や東京帝国大学の講師として行った英語の授業は「カタすぎる」ということで不評でした。
また受け持ちの生徒である藤村操が漱石の叱責により自殺してしまったのです。
藤村の死は社会に大きな影響を残しました。
漱石は『吾輩は猫である』や『草枕』で、藤村の死について言及しています。
この事件は、漱石の神経衰弱の一因であるのだと言われています。
妻の鏡子とも2か月別居するほどに漱石の心はかなり弱ってしまいました。
漱石と猫
夏目漱石の代表作のひとつ『吾輩は猫である』のモデルになった猫は、明治37年の夏に夏目家に出入りし始めた仔猫でした。
鏡子は最初嫌っていたが、漱石が「何度も入ってくるんなら、うちへ置いてやれ」と言われて嫌々飼い始めた。
だが按摩師のおばあさんに「これは福猫ですよ」といわれてから可愛がるようになった。
漱石とオート―ミール
神経質で気難しくて、時には家族に暴力をふるったという夏目漱石。
表現者としての苦悩と狂気は、理解できませんが、猫好きでオートミールを好んだ漱石。
彼の気難しい性格の中の可愛い一面であったのかもしれません。