年号、発表になりました。
4月1日、11時半にはNHKを食い入るように見ていたのですが、それから少し遅れての発表でした。
NHKには中川翔子さんがいらして、「最初の年号は何かご存じですか?」と質問されてもショコたん答えられませんでした。
日本最初の年号
「最初の年号?大化だよねぇ。」と大半の方はおわかりになりますよね。
でも大化以前に「九州年号」あるいは「倭国年号」なんてのがあり、「大化が日本最初の年号ではない」と説く方もいらっしゃるかなと思います。
大化以降にも年表には存在しない「逸年号」「私年号」なんてのもあるのですが、それらはちょっと置いておいて。
公的年号の最初は「大化」です。
ご存じ「大化の改新」の時に、クーデターを起こした中大兄皇子が決めたのです。
中大兄皇子が起こした大化の改新って?
歴史用語では「乙巳(いっし)の変」と呼ばれる蘇我氏暗殺事件こと「大化の改新」です。
聖徳太子亡き後、太子と仲良しだった豪族蘇我氏の力は強くなっていきます。
とくに蘇我蝦夷入鹿親子は調子に乗り、大臣という立場を利用して、ミカドをないがしろにし、権力を広げていました。
中臣鎌足は、蘇我入鹿のライバルだったものですから、中大兄皇子と結託し「あの親子を暗殺しよう!」とクーデターを企てました。
クーデターといえば暗殺!
蘇我入鹿の暗殺を天皇も出席する板蓋宮の儀式で実行しようと計画しました。
中大兄皇子と鎌足は暗殺者を用意しますが、その暗殺者、儀式当日、ビビってかげから出てきません。
「えぇ~い、自分でやるわ!」と中大兄皇子が自ら飛び出し、母である皇極天皇の目の前で入鹿を殺します。
それを知った入鹿の父蝦夷は自害します。
こうして、蘇我氏は滅亡し、新しい時代がやってきました。
それが「大化」です。
天智天皇
蘇我入鹿蝦夷親子を亡きものにした後、中大兄皇子はすぐにでもミカドになる気満々だったのですが、「中大兄皇子はミカドになりたくて蘇我氏を殺したんだよね?って噂がたつと政治がやりにくいよ。」との周りからの助言を受けて、即位するのを諦めました。
実は中大兄皇子が天智天皇として即位したのは668年なのです。
645年の大化の改新からずいぶんと年数がたっています。
崩御されたのは671年ですから、天智天皇として即位していたのはほんの短い期間でした。
でも結局、大化の改新の後、ず~っと実権握っていたんですよ。
「今日のブログ、超絶つまんないんだけど!」
残念なNHKの映像
リアルタイムでテレビを観ることができたみなさまは、どのチャンネルに合わせていらっしゃいましたか?
NHKの方が多かったのではないでしょうか。
でもNHK、失態でした。
菅官房長官が「新しい元号は『れいわ』であります」と声に出して額縁を右上に掲げたのですが、その額縁は手話通訳のワイプと重なってしまったのです。
数秒間「ん?『れいわ』ってどんな漢字?」と、見えるわけないのに、ワイプの後ろを覗きたくなりました。
手話通訳の方がお気の毒です。
これって、後世に語り継がれそう・・・。