コロナ禍のため、休止を余儀なくされたNHK大河ドラマ『麒麟がくる』
ここ数年振るわなかった視聴率を挽回すべく、今年の『麒麟がくる』は評判が良いというのになんたる不運。
でも再開されました。
長谷川博己さん、再会できて嬉しいです。
目次
『麒麟がくる』第22回「京よりの使者」あらすじ
桶狭間の戦いから4年。時は永禄7(1564)年。光秀は足利義輝からの使者細川藤孝に呼ばれて京へ赴く。義輝と織田信長を上洛させると約束するのだった。その頃駒は伊呂波太夫、近衛前久と一緒に大和へ行き、覚慶という不思議なお坊さんと対面する。
越前にて
『吾妻鏡』
越前で書物ばかり読んでいるという光秀。その本がわざとらしくチラリと見えました。意図的ですかね。
光秀が読んでいた本は『吾妻鏡』でした。
『吾妻鏡』
鎌倉幕府の初代将軍・源頼朝から第6代将軍・宗尊親王まで6代の将軍記。
編纂当時の権力者である北条得宗家の側からの記述であることや、あくまでも編纂当時に残る記録、伝承などからの編纂であることに注意は必要なものの、鎌倉時代研究の前提となる基本史料である。
Wikipediaより引用
光秀さん、再来年大河ドラマ『鎌倉殿の13人』 の予習ですか?
髪を売って客人をもてなす賢妻の逸話なし
京から訪ねてきた細川藤孝を、光秀の妻燕子は家計が圧迫する中精一杯のおもてなしをします。
ここで美談「光秀の妻が美しい黒髪を売り客人をもてなす」という逸話を引っ張り出すかと思いきや、スルーしました。
その美談はあちこちに散らばっている真実味のない話ですから、コロナ禍の影響で最終回を年末まで駆け抜けなければならない事情の中、余計な話は盛らなくていいと思います。
細川ガラシャ夫人
細川藤孝は、光秀の二女たまを抱っこします。
たまはすっかり藤孝のことを気に入った様子です。
伏線みえみえ。
藤孝が「ウチにも同じ年齢の息子がいるんだよね。たま殿と結婚させよっかな。」とかまでは言わなかった(笑)
そう、たまは後に藤孝の息子忠興と結婚します。
細川藤孝は文武芸述に秀でた真面目な武将ですが(光秀同様側室ももちませんでした)藤孝とは性格真逆の強烈キャラの持ち主細川忠興。誰が演じるのかな~菅田将暉さんでどう?
本能寺の変を機にたまは幽閉となり、キリシタンへの道を歩みます。
関ケ原の合戦の直前には、石田三成からの人質要請を拒み、家臣に命令して屋敷に火を放ち自ら命を落とすのです。それはまるで本能寺の変での織田信長のようでもありました。関ケ原の合戦における最初の犠牲者がたまだったのです。
足利義昭登場
駒も東庵も伊呂波太夫も架空の人物であり、こういったポジションの登場人物は物語の中で都合よく動かされることがよくあり、いや、そのために登場させているのかもしれません。
今度は大和で覚慶こと足利義昭と偶然知り合いになるのです。
足利義昭はまるで一休宗純(一休さん)か良寛さまかというくらい、庶民のミカタっぽく貧しい人々に施しをする僧侶になってます。
うむむ。
ツッコミはやめておこう。これからを楽しみに。
三好長慶亡くなる
そして歴史が大きく動きます。
三好長慶が亡くなりました。
三好長慶の死に関しては史料が少なく、死因の考察は難しいのですが「重症うつ病~強迫性障害、被害妄想を伴うもの」という説があります。
晩年の長慶の行動は理解しがたいものでした。
実弟の安宅冬康謀殺の謎解きは並大抵ではなく、長慶を重症のうつ病に陥れる触接の原因といえるでしょう。長慶の病状が進むにつれ、周囲の家臣団の間では唯一残った冬康に希望の目が注がれ、長慶はその家中の空気を曲解し、冬康が頭となって自分を害しようとしているという、とんでもない妄想に取り憑かれた。そこで、殺される前に殺した。
長慶は若年にして父を失い、その後、三好家の棟梁として大所帯であった一族をまとめあげていったのです。実休、冬康、一存ら兄弟と刃を交えた経歴が一切見られず、畿内での軍事行動では常に兄弟4人が連携して動いていました。
長慶がいかに人望が厚く敬愛された人物であったかは異論の余地がないと思うのですが、『麒麟がくる』ではそのあたりには触れることはありませんでした。
卒論は三好長慶にしちゃおっかな~というくらい、私は彼に惹かれています。
でも卒論を人物にしちゃうと、ただの伝記になるので、それはNGなのですよ。
話しが完全に逸れてしまい、今日はここで終了とします。
次回が楽しみです。
三好長慶の死については、医師である諏訪正信氏の考察を引用させていただきました。