日本は江戸時代長きにわたって鎖国政策を行なっていました。
その間、大きな内戦はなく、ある意味平和な時代だったのかもしれません。
しかし、鎖国の弊害で世界の技術から大きく遅れをとっていました。
目次
蒸気船の始まり
1700年代中盤、ヨーロッパで「産業革命」がはじまります。
1769年、ワット(英)は蒸気機関を発明します。燃料は石炭。人類は手でもなく風でもなく、機械で乗り物を動かすようになるのです。
1807年。
日本では第11代徳川家斉の時代。
アメリカのロバート・フルトンは、100トンの蒸気船クラ―モント号をニューヨークとオールバニー間の240kmを32時間で航行することに成功します。
本格的な蒸気船の航行は世界初。
クラ―モント号は、船体の両側につけた2つの外輪を回転させて推進力を得ていますが、帆も併用しています。
それまでの河川を利用した運送業が川を下るだけであったのに対して、蒸気力と機械力によって川を遡ることができることが証明され、河川交通は両方面に可能になります。
フルトンはニューヨーク州から汽船航行の独占権を認められ、ハドソン川で定期航路を運営する会社を興し、大成功するのです。
イギリスでは1822年に鉄製蒸気船が建造され、1839年にはスクリュー船も建造されています。
日本の船事情
鎖国時代
日本にペリーが来航するのはフルトンの蒸気船実験から半世紀後の1853年。
ペリー率いる4隻のうち2隻は蒸気船であり、船といえば帆船であった江戸時代の人々は大きな衝撃を受けます。
鎖国時代は、日本は外国へ行く必要がなく、大型の船を作る必要はなかったのです。
というか、「大船建造の禁」がありましたから。
大型の船を造ることを禁じられていたのです。
明治時代
江戸時代が終わり、明治時代が始まる。
弱小日本は欧米列強に追いつくことを目標に「近代化」「富国強兵」を目指すことになるのです。
独立国として生きていきたい(植民地になりたくない)、欧米列強諸国と対等の国になりたい。
そのためにはどのように欧米列強に対抗して海軍力を増強していくか。
それが結果的に第二次世界大戦への道を歩くことになったのかもしれない…というのは、私の個人的な素人の考えです。
ロバート・フルトン
ロバート・フルトンは、1765年11月14日アメリカペンシルべニア州ランカスターで生まれ、フィラデルフィアで画家として過ごした後、イギリスに渡り機械の発明にとりかかるのです。
1803年、セーヌ川で蒸気船の実験に成功、1806年にアメリカに帰国してクレアモント号を建造するわけです。
そうなんです、今日11月14日は、ロバート・フルトンの誕生日です。
傘で有名な「FULTON(フルトン)」
「フルトン」で検索すると、傘がずら~っと出てきます。
英国王室ご用達のレイングッズブランド「FULTON(フルトン)」
私には縁がないブランドなので、ぜんぜん知りませんでした(;^ω^)