NHK大河ドラマ『青天を衝け』で、「台湾出兵」というキーワードがでてきました。
第32回「栄一、銀行を作る」で、大久保利通は「(不平士族の)不満をそらすための台湾への出兵はやむを得ない」とか言ってましたね。
明治7(1874)年、岩倉具視暗殺未遂事件とか佐賀の乱とか、不穏な空気が流れていたんです。
第33回「論語と算盤(そろばん)」では、大隈重信が「
岩崎弥太郎さん、『青天を衝け』では「三菱は(戦争を)手ぐすねひいて待ってる」とか言われちゃって、悪役にしか見えません。昨日の第34回「栄一と伝説の商人」でも弥太郎さんのガハハ笑いで「俺、悪役だから」のアピールすごかった。
で、台湾出兵って何でしょうか?
目次
琉球漁民台湾漂着事件
そもそも始まりは、琉球漁民台湾漂着事件、明治4(1871)年に琉球の漁民が、難破して、台湾に漂着し、現地で保護されたことが発端でした。
現地で保護され食事などを与えられたたものの、所持品などを奪われました(琉球中山王府での記録)。
翌日、漁民たちは怖くなって逃げだします。しかし捕らえられ、衣服を剝ぎ取られ、殺されてしまいます。
明治4年11月8日(1871年12月19日)、150年前の今日です。
日本の抗議と清国の返事
日本と清国のあいだにトラブルが発生します。
日本側は、「あなたの国である台湾で、琉球漁民が被害を受けた。琉球は日本の領土なのだから!」という論理で、被害者に対する賠償、謝罪などを、清国に要求します。
で、清国政府の対応はちょっとトロくて、「いや、あそこ(「番界」の奥地)は野蛮人がうようよ住んでいるところだから、不運だと思ってあきらめてください。」なんていうわけのわからない弁明をしたのです。
台湾出兵
そこで、「責任を取れないのだったら、現地の住民どもに日本が直接、正義を教えてやろう」という名目で、1874年に
日本の台湾出兵にあわてた清国は、日本側の要求を受け入れて謝罪し、事実上の賠償金を払うという形で決着しました。
琉球王国の日本領土化政策
琉球王国は薩摩藩に支配されているとはいえ、独立した王国でした。
その琉球王国の漁民が、清の支配下にある台湾で被害にあった。これは、冷静に考えれば、清国政府と琉球王国政府の問題なのです。
ところが、琉球の漁民の被害を日本政府として清国に抗議し、清国がこれに対応したということは、形から言えば、琉球王国が日本政府の支配下にあるということを清国政府が認めたということになるわけです。
琉球処分
琉球漁民台湾漂着事件からの台湾出兵、そしてそれを機に明治政府が琉球王国を1つの県として日本領土に組み込んでいく過程を「琉球処分」といいます。
琉球藩は1872年(廃藩置県の翌年)に設置、沖縄県は1879年に設置されました。
日本史と東洋史の両方を学ぶことで、知識が広がります。