NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』13日と20日の放送では、ガッキー演じる八重姫がとてもお気の毒でした。
生きていると信じていた幼い我が子が、実は自分の実父によって命を奪われていたのですから。
1979年大河ドラマ『草燃える』で八重姫は登場していたのでしょうか。
記憶にありません。
伊東祐親(久米明氏演)祐清(橋本功氏演)父子は登場していました。
本日のブログは
ドラマのネタバレではありませんが、史実としてのネタバレ、また文献からの考察がありますのでご注意ください。
目次
八重姫という女性
『鎌倉殿の13人』でもご存知かと思いますが、八重姫は、伊東祐親の娘です。
生没年は不詳で、文献によるとかなりの美女らしいです。
そんな八重姫は流人である源頼朝と恋仲になり、子供千鶴丸を産みます。
しかし、平氏に目をつけられることを恐れた伊東祐親は、自分の実の孫であるその千鶴丸を殺してしまうのです。
八重姫が登場する文献は
吾妻鏡
八重姫という女性は、鎌倉時代の代表的文献である『吾妻鏡』には出てきません。
『草燃える』にしろ『鎌倉殿の13人』にしろ、物語は『吾妻鏡』が軸となっているかと思われますが、八重姫の存在はどこから出てきたのでしょうか。
曽我物語
曾我兄弟の仇討ちも八重姫の存在も『曾我物語』に出てきます。
「なんだ、『曾我物語』は物語だから史料的価値はないだろう」と思われる方もいらっしゃるかもしれません。
『曾我物語』は『吾妻鏡』とほぼ同じ鎌倉時代末期に生まれたもので、実在の武士も登場し、精査していくと単なる作り物ではなく、鎌倉時代の武士の実像をかなり反映している面があります。
『鎌倉殿の13人』で八重姫の存在を採用したのは、そういった点を検討した上でのことかなと思います。←私の勝手な推測です。
源平闘諍録
八重姫は『
『
北条氏初代時家など北条氏の家系にまで記述が及んでおり、この時代の代表作である『平家物語』や『吾妻鏡』を補うとされ、文学作品というよりは歴史的史料としての価値が高いものとして評価されています。
八重姫のその後
八重姫は同時代史料や後世編纂史料には出てこず、上記以外に『平家物語』『源平盛衰記』などの物語に登場しています。
生没年も不詳であり、名前すら物語には出てきません。
千鶴丸を亡くした後、八重姫はその後どうなったのでしょうか。
『曾我物語』では悲観して真珠ヶ淵にて入水自殺したとか。
入水したという真珠ヶ淵には真珠院があり、八重姫御堂にて供養されています。
いやいや、
三浦氏に嫁いだという説もあり。
『
えま?
江間小四郎?
それは北条義時の幼名です。
では、八重姫が嫁いだという江間小四郎(小次郎)とは北条義時なのか?
それは年齢的に無理があると考察され、「江葉の小次郎近未」は北条義時ではないとされる研究者の方が多いです。
『鎌倉殿の13人』では
江間次郎
『鎌倉殿の13人』では、八重姫は江間次郎に嫁いでいます。
江間は江間でも北条義時ではないんだよね。
江間次郎は、伊東祐親の家人で、結婚後もガッキーに「(江間次郎のことを)夫と思うたことはありません。」と冷たく断言され、ずっと妻に家人扱いされている可哀想な存在です。
阿波局
創価大学教授の坂井孝一氏は、根拠がはなはだ薄弱であるとしながら、大胆な仮説を提示しています。
中世史が専門である坂井孝一先生は、『鎌倉殿の13人』の時代考証を担当されていて、1月のBSプレミアム『英雄たちの選択』にも出演していらっしゃいました。
確かに、北条義時には生没年不詳の「阿波局」という側室がいます。
身分が低いのですが、義時の長男を産み、その泰時が後継者となりました。
この阿波局が八重姫であるという坂井孝一先生の仮説が『鎌倉殿の13人』で採用されるのではないでしょうか。←私の勝手な推測です。
ガッキーが小栗旬さんの側室になるわけね。
宮澤エマさん演じる義時の妹も、源実朝の乳母として後に「阿波局」と呼ばれるようになりますが、この「阿波局」は泰時の母の「阿波局」とは全くの別人です。単なる同姓同名でしょう。
北条泰時は『鎌倉殿の13人』では坂口健太郎さんが演じられます。
参考文献
BSプレミアム、日曜日朝の大河ドラマアンコール『黄金の日日』をとても楽しんで視聴していますが、こちらは4月からは『おんな太閤記』の放送になります。
4月からは放送開始時間が変更になるようです。ご注意ください。
橋田寿賀子脚本の『おんな太閤記』、池上季実子さんの淀殿が大好きでした。
この話はいつかまた。