富士野で起きた曽我兄弟の仇討ち。
日本三大仇討ちのひとつです。
仇討ちの相手は工藤祐経。
祐経は、伊東祐親を恨んでいた伊豆の武士。
伊東家の嫡男だったのですが、後見人の祐親に裏切られ、妻と離縁、土地も奪われた不憫な男です。
目次 ~曽我兄弟の仇討ち~
『鎌倉殿の13人』第17話の伏線
NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』、第17話「助命と宿命」の1シーンを覚えていらっしゃいますか?
幼き日の曽我兄弟が出ていました。
主人公北条義時の館に現れたのは工藤祐経。義時の妻であり伊東祐親の娘である八重は祐経の従妹です。
その祐経に石を投げつけた男の子たち。これが曽我兄弟です。
「人殺し」幼い兄弟はそう言い放ちます。
祐経は「ひどいな、全く。私を親の仇とずっと恨んでおる。」とボヤき、義時には「八重と私縁も深い。」と義時に仕事の世話を依頼します。
八重は「よくそのようなことが言えますね。ご自分が何をしたのか、わかっておられるはず。」と憤慨しますが、義時に詳しいことは言いません。
このシーンが「曽我兄弟仇討ち」の伏線でした。
工藤祐経の失敗が発端だった
曽我兄弟の父である河津祐泰が伊豆国奥野の狩庭で工藤祐経の郎従に暗殺されました。
祐経は伊東祐親の暗殺を郎従に命じていましたが、矢は祐親ではなく祐泰に命中し非業の死を遂げたのです。
幼い兄弟が「人殺し」と祐経を罵っていたのも無理はありません。
曽我兄弟の名前
残された兄弟は、母が曽我祐信と再婚したため兄弟は曽我姓を名乗ります。
兄が「十郎祐成」で、弟が「五郎時到」
なぜ兄が十郎で、弟が五郎なのでしょうか。
これには武士の成人儀式である元服と深い関わりがあります。
武士は成長すると冠(武士は鳥帽子)をかぶって大人になりますが、その際に実名と仮名を付けます。
兄の場合は「祐成」が実名で「十郎」が仮名です。
このときに冠をかぶせる人を烏帽子親と呼び、実名に一字を与えたり、仮名を与えたりします。
仮名は生まれた順番を表すわけではないので、兄が十郎、弟が五郎でも不思議ではないのです。
弟の五郎の烏帽子親は北条時政だと、ドラマで言ってましたね。時政、いい人っぽくて好き。
美談のその後
曽我兄弟の仇討ち、その波紋は大きかったのです。
曽我事件の直後から、頼朝は恐るべき粛清を始めます。
源頼朝、曽我事件を機に、不満を持つ御家人とライバルになりうる者を一挙に葬ったのです。
不安材料一掃処分です。
参考:NHKBSプレミアム『英雄たちの選択』
常陸国の武士たち
仇討ちの現場である巻狩りに参加していた常陸国の武士たちを曽我兄弟の夜討ちを恐れ逃亡した罪で、所領を没収。
多気義幹
常陸国の大武士団の代表である
没収の理由は曽我事件直後富士野に駆けつけなかったから。
ついでに多気義幹の弟
大庭景義と岡崎実実
さらに吉野の有力御家人、大庭景義と岡崎義実を突如出家させます。←実質的な追放
甲斐源氏安田氏
続いて、甲斐源氏の有力者安田義定の息子安田
理由は新たに建立した寺院の供養の最中に女官に恋文を渡したから。
おまけに義資の父義定を反逆の恐れアリとさらし首にしてしまいます。
すべて言いがかりじゃん!
安田氏の所領遠江国の守護には頼朝の義父である北条時政を任命します。
弟範頼までも
そして悲しいことに頼朝の弟源範頼にまで被害が及びます。
源頼朝が曽我兄弟に討たれたという誤報が伝わり、悲観する北条政子に「私がいるから大丈夫」と言った範頼に「アンタ、頼朝様の後釜を狙ってるわけ?」と勘違いされて、処罰されたというのです。
気の毒すぎる。by 『保暦間記』
さ、今から『鎌倉殿の13人』を視聴します。
いよいよ曽我兄弟の仇討ち始まりますよ。範頼は大丈夫かな~~~(´;ω;`)ウッ…