そしてもう1人は安達盛長…ではなく。
私は、大河ドラマ『鎌倉殿の13人』のこの先のネタバレは存じ上げませんが、このブログには史実としてのネタバレが含まれます。
ご注意ください。
目次
『鎌倉殿の13人』第22回「義時の生きる道」での安達景盛
謝罪のため、義時と金剛は安達家を訪れます。
金剛は礼儀正しく、そしてきちんと弥九郎に謝ります。
弥九郎は金剛に比べるとお行儀がなってない感じ。
おまけに喧嘩の真相は弥九郎が鶴丸のことをみなし子とからかったからでした。
金剛は鶴丸をかばったのです。
金剛、後の北条泰時、良い子ではないですか。
それに比べて弥九郎は😞
弥九郎…彼は後の安達景盛。
私が大好きな武将です。
ちっ!
『鎌倉殿の13人』では、お行儀悪い悪ガキ風のこんな描き方しやがって!
安達景盛と将軍源頼家の関係
申尅以後、雷鳴甚雨及深更、月明至暁鐘之期、中將家、遣中野五郎能成、猥召景盛妾女、點小笠原彌太郎宅、被居置之御寵愛、殊以甚〈云云〉是日來重色之御志、依難禁被通御書、御使徃復、雖及數度、敢以不諾申之間、如此〈云云〉『吾妻鏡』より引用
1199年の春、景盛は京からえらく美人の妾を呼び寄せます。
源頼朝の死後、将軍となった頼家は、トンデモナイ奴だったようで。
景盛の妾である京美人を自分のモノにしようとします。
頼家は何度も京美人にラブレターを出すものの相手にされず、なんと彼女を強引に連れ出します。
で、景盛に言いがかりをつけて成敗しようとまでするのです。
しかしそこは母である北条政子が阻止!
この頼家による妾奪略は『草燃える』でも取り上げられ、トンデモナイ将軍頼家は郷ひろみさんが、素朴で人柄のよい安達景盛は火野正平さんが演じられました。
安達家の活躍と景盛の最期、そして安達家の最期
安達家が三浦一族500余名を滅,亡に追い込んだ宝治合戦の翌年、景盛は宝治2年5月18日、高野山で没します。
西暦だと1248年6月11日。
774年前の今日です。
弘安8(1285)年、9代執権北条貞時の時代、11月17日に鎌倉で起こった鎌倉幕府の政変です。
鎌倉時代、戦ばっかりやな。
安達邸
安達邸は、「甘縄」にあったといわれています。
甘縄神明神社の東南あたりがそうなのではないかと伝えられてきました。
無量寺ヶ谷には、安達義景(安達景盛の息子)の屋敷内に建てられた無量寿院があったと考えられます。
『新編鎌倉志』には「無量寺ヶ谷は興禅寺の西方の谷で、無量寺という泉涌寺末の寺があった」ことが記され、「『吾妻鏡』の無量寿院は、後に無量寺と呼ばれたか?」と記されています。
鎌倉市歴史文化交流館
現在、無量寺跡と考えられている地には、鎌倉市歴史文化交流館が建てられています。
鎌倉市歴史文化交流館の玄関口にある池。というか、池の跡。
この池は安達家の館に関係があったのではないかと記されています。
まとめ
火野正平さん好きでした。自転車で全国回っている姿もいいけどね。
『鎌倉殿の13人』でも、景盛の成長した姿を見られるのを楽しみにしていますよ。
『鎌倉殿の13人』、予告を見る限りでは、明日は成長した頼家と泰時が出演するようですね。