『鎌倉殿の13人』の脚本は三谷幸喜氏。
その三谷幸喜氏の映画『清須会議』を4月30日㈯にBSフジで放送していましたので、視聴しました。
2013年公開のこの映画を観たのは、私は初めてです。
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目次
清洲会議
清洲会議は、織田信長が本能寺で亡くなった後に織田家継承問題について話し合った会議です。
尾張国清洲城にて、天正10(1582)年6月27日に開かれました。
440年前の今日です。

清洲会議の参加者
清洲会議に参加したのは、柴田勝家、丹羽長秀、羽柴秀吉、池田恒興の4人です。
滝川一益は、直前の神奈川の戦いで後北条氏に敗けたために敗走中で間に合いませんでした。
織田信雄、織田信孝、徳川家康も会議の決定に委任して、それに従う形で哲紙を交わしています。
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柴田勝家
映画の主人公は役所広司さん演じる柴田勝家。
清洲会議では、織田信長の三男信孝を跡継ぎに推すも、自分の意見が通らなくて残念な結果でしたが、大好きなお市の方と結婚することができました。
お市の方を演じられたのは鈴木京香さん。お歯黒などメークも独特で。
結局1583年、清須会議から1年後に賤ヶ岳の戦い で秀吉に滅ぼされちゃうんだけど。
最愛のお市の方も一緒に。
羽柴秀吉
秀吉を演じたのは大泉洋さん。
『新解釈・三国志』の劉備とか、『鎌倉殿の13人』の源頼朝とか、私の中で大泉祭りですわ💦
秀吉は、跡継ぎに信長の二男の信雄を推していたんですが、信雄があまりにバカで、最終的には急に方向転換して、織田信忠の嫡男(=信長の孫)である織田秀信(三法師)を推し、それが決定となります。
織田秀信
清洲会議が行われた時点でわずか3歳だった秀信。
清洲会議後、織田氏の家督継承は織田政権の解体と豊臣政権の確立の過程で秀信は翻弄されます。
1600年の関ケ原の合戦後、高野山で修行を積むことになりますが、祖父信長の高野山攻めが仇となって苦労し、結局高野山から出て(追放?)山麓に住みます。
慶長10(1605)年5月8日、わずか26歳の生涯を閉じます。その死因は病気であるとも自害であるとも。
織田信孝
坂東巳之助さんが演じられた織田信孝。
織田信長の三男ですが、母親の身分が低いために、清須会議では後継者選挙(?)に落選してしまいます。
家督を継ぐことになった三法師(織田信長の長男信忠の嫡男)の後見役を務めることに決まったのですが。
秀吉と対立し、清洲会議の翌年に信雄の命令によって(秀吉の内意?)切腹することになります。享年26。
織田信雄
妻夫木聡さんが演じられた織田信雄はちょっと変わり者?
織田信長の二男です。
ルイス・フロイスは信雄のことを「普通より知恵が劣っていた」と記述していました。
キリスト教に好意的だった信孝は宣教師の間で評価が高かったのに対し、そうでない信雄にフロイスはちょっと厳しかったようですから、この記述を鵜呑みにするのは要注意です。
風見鶏的な生き方の信雄、賤ヶ岳 の戦いでは、秀吉方に属しました。
傍観的態度だった関ケ原の戦い後、大坂冬の陣直前には徳川方へ転身。
なんだかんだ江戸時代まで長生きして、晩年は京都で茶や鷹狩りなど悠々自適。
数多くいた織田信長の息子の中で、江戸時代に大名として存続したのは信雄の系統だけで、信雄の四男信良の系統は皇室へも繋がっています。
映画『清洲会議』は三谷幸喜さんの作品ですから、歴史を学ぶというよりは、笑ってください!といった感じの内容です。
それでも、本能寺の変から江戸時代への流れが掴めますから、人物をじっくり考察してお楽しみくださいませ。
『鎌倉殿の13人』は大泉洋さん演じる源頼朝は、昨日の放送で落馬してしまいました。
落馬する時、源義経の姿を見たとか、安徳天皇が通り過ぎていったとか、いろいろ逸話はあるけれど。
その後長く続くことになる武家政権の基盤を築いた彼の死は、今でも謎が多くあります。

