NHK大河ドラマ『どうする家康』の2月5日、12日の2回にわたる「瀬名奪還作戦」面白かったですね。
映画というか、前後編にわたるスペシャルドラマというか、家康が主人公だということを忘れてしまいました。
鵜殿長照との戦いにおいて、服部半蔵のピンチに助っ人が現れました。
甲賀です。
普段は農業に勤しんでいました。
目次
伊賀の山城、甲賀の山城
土塁に囲まれた甲賀の山城。
甲賀武士が使っていました。
伊賀にも同じような山城がありましたが、甲賀の山城とは構造が違っていました。
伊賀の山城には堀がめぐらされ、また数々の仕掛けがありました。
一方甲賀の山城には仕掛けもなく、堀はひとつだけ。山城を進化させていないのです。
なぜなら。
伊賀は織田との戦いに挑みましたが(天正伊賀の乱)、甲賀武士は織田と手を結んだのです。
甲賀武士は戦乱の世において、誰と手を結ぶべきかという判断に長けていたのです。この計算高さが甲賀武士の特徴です。
甲賀が歴史を動かした?
甲賀武士は時代の節目に、どう行動すべきかを冷静に判断し、歴史の流れに貢献します。
鈎の陣
まずは長亨元(1487)年~長亨3(1489)年の
室町幕府第9代将軍足利義尚が南近江守護大名佐々木六角を攻め込みます。
足利義尚に攻め込まれた六角は甲賀に逃げ込みます。この六角を甲賀武士が守ります。
これによって室町幕府の権威が失墜、戦国時代が激化します。
天正伊賀の乱
そして天正伊賀の乱。
織田信長が伊賀を侵攻します。
甲賀武士は織田に加勢します。
伊賀は壊滅し、織田の勢力が拡大します。
神君伊賀越え
徳川家康が人生最大の危機を迎えたという神君伊賀越え。
本能寺の乱を知った徳川軍は明智軍から逃亡します。
2016年「真田丸」でも2017年「おんな城主 直虎」でもコミカルに家康は逃げ回ってました。
「どうする家康」でもきっとコミカルな逃亡になりそう。
甲賀の立地
戦国時代、甲賀は近江の国の端にありました。
甲賀は伊賀よりも京都に近い。
織田や六角がいた近江や、本能寺の変のあった日に京都にいた徳川家康が、立ち寄りやすい位置に甲賀があったのです。
こうして甲賀の情報力や知恵を育んだのですね。
小田原征伐
三河の徳川や小田原の北条へ続く東海道にあって、甲賀は入り口になります。
天下統一をもくろむ豊臣によって、見晴らしのいい甲賀は敵の動向を見極める場所でした。
だからこそ、豊臣は甲賀武士たちを支配して甲賀をおさえておく必要があったのです。
甲賀を手中におさめた豊臣は、天正18(1590)年の小田原征伐で北条氏を降伏させ、天下統一を成し遂げます。
伊賀忍者に続いて、甲賀から信楽を散策した「ブラタモリ」(2020年放送)での甲賀武士についての考察をまとめてみました。
鈴木伸之さんと菜々緒さんの「忍者に結婚は難しい」でも伊賀と甲賀の違いについて説明していましたよ。
「どうする家康」は今日からまた元の路線になりそうだけど。
服部半蔵、そして松山ケンイチさん演じる本多正信の活躍が見たいなあ。