NHK大河ドラマ「どうする家康」第15回終盤から登場してきた井伊直政。
6年前の「おんな城主 直虎」では菅田将暉さんが演じた井伊直政を今回は美しい板垣李光人さんが演じます。
目次
井伊直政の出自
井伊直政の出自については「おんな城主 直虎」で詳しく描かれていました。
幼名虎松。幼少期を当時9歳の寺田心くんが演じていました。
幼くして父直親を亡くし、その後母親が
「おんな城主 直虎」では松下清景を古舘寛治さんが演じていらっしゃいました。私はこの役で古舘さんのファンになりましたよ。
家康の家臣に
井伊直政、「どうする家康」ではドラマチックな登場で、これからどういった経緯で家康の家臣になるのか興味深いところです。
女装した板垣李光人さんが家康に襲い掛かっての登場。
未遂に終わりましたが、家康は井伊直政を無罪放免にします。
もしもこの時に家康に許されず処罰されていたら、直政の血は絶えて、幕末の井伊直弼に繋がらず、「安政の大獄」も起こらず、吉田松陰や橋本佐内が若くして亡くなることはなかったのか?
「どうする家康」は現在元亀3(1573)年の三方ヶ原の戦いですから、直政が家康に仕官するのはこの2年後くらいでしょうか。
直政は松下家の養子になっていましたが、井伊に復し、家康の小姓となるのです。
三方ヶ原の戦い
遠江国(現在の静岡県)での三方ヶ原の戦いでは、武田軍が圧勝し、わずかな部下とともに浜松城に逃げ帰ったとされる徳川家康。
浜松城では、追撃してきた武田軍に対して、あえて門を開いて待ち伏せがあるように思わせる「空城の計」を敷き、追手を警戒させ引き換えさせることに成功します。
これによって浜松城は落城を免れました。
家康の人生で、三方ヶ原の戦いは本能寺の変の際の伊賀越えと並ぶ大ピンチでした。
伊賀越えは2016年大河ドラマ「真田丸」の内野聖陽さん演じる家康が思い出されます。
最期
関が原の合戦では東軍指揮の中心的存在だった直政。
井伊直政はそれほど長生きではありません。
直政はその頃家康の家臣として頭角を現し、箕輪城城主となっており、継父である清景もそれにつき従い城下で亡くなりました。慶長2(1597)年5月19日。426年前の今日です。
松下家を継いだのは井伊になった直政ではなく、中野直之の二男の一定が養子として跡を継ぎました。
直政の家臣である中野直之が大河ドラマに登場したのは「おんな城主 直虎」だけ。矢本悠馬さんが演じられたのがとてもよかった。「どうする家康」では登場するかな。
直政が亡くなったのは、継父清景が亡くなった5年後、慶長7(1602)年。40歳の時でした。
関が原の合戦の2年後です。
主君の家康よりずっと早くに亡くなりました。
徳川四天王の酒井忠次・本多忠勝・榊原康政・井伊直政、いずれも家康より先に亡くなっていますが、井伊直政が1番若くして亡くなったのです。
「おんな城主 直虎」は、2025年放送予定の横浜流星氏主演大河ドラマ「べらぼう蔦重栄華乃夢噺」も担当される森下佳子さんの脚本です。
「どうする家康」を視聴するにあたって、「おんな城主 直虎」の後半をもう1度復習したいと思う私でした。
前半でもなく後半でもなく、ドラマ中盤の高橋一生さん演じる政次と直虎のやりとりがとても好きでした。