私は今川氏真が好きです。
きっかけは2017年NHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」を観たから。
もっと正確に言うと、その「おんな城主 直虎」に絡めて、2017年7月のNHK「歴史秘話ヒストリア」での今川氏真についての解説を視聴してからです。
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3月26日㈰の夕方、その「歴史秘話ヒストリア」の再放送をしていましたので、まとめてみました。
目次
プリンスから一転
今川氏真は名門今川家のプリンスでした。
16歳の時には、政略結婚で北条氏康の娘早川殿が嫁いできます。(「どうする家康」では糸という名前の設定です)
そして、息子の氏真には人望がなかったのか見限られたのか、配下の武将が次々と離反してしまいます。
幼い頃からともに過ごした松平元康(後の徳川家康)も織田信長と同盟し、氏真を助けるどころか、今川領に攻め込んできます。
さらに北からは武田信玄が襲い掛かり、氏真は掛川城に追い詰められるのです。
夫婦で逃亡して、家康の家臣になる
氏真と妻の早川殿は、早川殿の実家である北条家に逃れます。
しかし、まもなく2人を庇護していた北条氏康が死去。
北条家の後を継いだ北条氏政は武田信玄と同盟します。信玄はこれを機に今川家を根絶やしにしようと氏真暗殺を謀るのです。
大ピンチの今川氏真夫妻は、なんと今度は徳川家康のもとを訪れ庇護を求めます。
家康は、今川氏真を家臣として受け入れます。
織田信長に取り入る
しかし、徳川家康は三方ヶ原の戦いで、武田信玄に惨敗してしまいます。
強いぞ、阿部寛!
いえ、武田信玄!
どうする氏真!
信長の前で蹴鞠を披露します。
氏真は幼少のころに公家たちから京の洗練された文化を伝授されていました。蹴鞠や和歌を学んでいたのですよ。
こうして信長との対面も首尾よく成功し、また武田勝頼の大軍が家康の領土に攻め込んできた時には大手柄をたてます。
この戦いで家康から牧野城を与えられました。
7年ぶりに城主に返り咲いたのです。
しかし、結局わずか1年で牧野城主を解任されてしまいます。
江戸時代を生き抜く今川家
京でセカンドライフ
晩年、今川氏真は京に移り住み、自由気ままなセカンドライフを送ります。
自らが学んだ和歌の知識や儀式の作法を子供たちに教え、江戸幕府が誕生すると、徳川家忠は氏真の子供たちを朝廷との交渉役に登用します。
最期まで仲がよかった夫婦
戦国乱世を夫婦で生き抜いた氏真とその妻早川殿は江戸時代まで長生きします。
早川殿は慶長18年2月15日に亡くなります。西暦でいうと1613年4月5日。410年前の今日です。
そして氏真はその後を追うように翌年77歳でその生涯を終えるのです。
幕末も明治維新後も
その後今川家は長く徳川家に仕え、幕末には徳川慶喜の助命嘆願などの交渉で活躍します。
明治になると、多くの旧幕臣が職を失う中、今川家は公家との関係を武器に新政府でも活躍するのです。
今川家の菩提寺観泉寺
今川家は戦国の動乱の後も生き残り、東京杉並区の一帯を所領してす。
今川家の菩提寺として庇護を受けた観泉寺には、氏真以降の歴代の今川家当主のお墓があります。
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3月26日放送の「どうする家康」第12回「氏真」で、今川義元が生前(というか亡くなる直前)「(息子氏真は)家康と手を取り合い、今川をますます栄えさせる」と早川殿(糸:志田未来さん演)に言います。
これは後に、徳川家を助ける今川家の姿を予言していたのですね。主従関係は逆転したけど。
さて、「どうする家康」の歴史は進みます。
いよいよ姉川の戦いに向けて。
次回第14回「金ヶ崎でどうする」では、小豆袋ならぬお市の方の侍女