母が亡くなって、1か月以上が過ぎました。
亡くなった後の手続きに追われていますが、それらに向き合いながら、自分の老後についてより身近に考えるようになりました。
まわりに迷惑かけないように、健康なシニア生活を過ごせるように、「終活」を意識しています。
そのひとつに「歯の健康」があります。
歯を大切にしたいと思っています。
恥ずかしながら、歯医者さんにはもう何年も行っておらず、行かなければと思いながらも、母の介護と孫の世話を言い訳に、歯科検診を放置していました。
最近再度視聴した「和田家の男たち」で、主人公和田優くん(相葉ちゃん演)が言っていましたが、江戸時代の死因のトップは「虫歯」だそうで、「14代徳川将軍家茂」は31本あった虫歯のうち30本が虫歯だったそうです。
ネット記者の優くんはこの件を記事にしたそうですが、ぜんぜんビューを稼げなかったそうで(笑)
目次
江戸幕府、第14代将軍
NHK大河ドラマ「篤姫」などでも有名ですが、徳川家茂は、一橋派との抗争の末に勝利し、直後に第13代将軍徳川家定が死去したために、安政5(1858)年10月25日、第14代将軍に就任しました。
165年前の今日です。
家茂はこの時13歳という若年でしたが、徳川家定の従兄弟にあたり、前将軍の最近親ということから、血縁を徳川家康まで遡らなくてはならない一橋慶喜を抑えて将軍になったわけです。
虫歯に悩まされた将軍
徳川家茂は20歳で亡くなりましたが、その時の顎の骨を見ると、永久歯32本の中で親知らず1本は完全に脱落し、残り31本中30本が虫歯でした。
上下の奥歯のうち6本は歯茎より上の部分が全くなくなって、大きな穴があいていました。
前歯も虫歯が神経にまで達しているところがありました。
家茂は大の甘党で、亡くなる直前の公卿や諸大名からの見舞品のうち食料品は、白砂糖、五色砂糖、氷砂糖、懐中ぜんざい、もなかなど甘いお菓子ばかり。
毎日羊羹を食べるほど甘党だったと言われています。
今年の大河ドラマ「どうする家康」でもわかるように、徳川家康は健康オタクでした。
しかし、徳川将軍家は、3代目以降貴族化が進み、60歳という最も長生きした12代家慶でさえ、歯は、咀嚼による摩耗が全くなく真珠のように滑らかで光沢があったそうです。
噛む必要のないほど柔らかいものばかり食べていたのでしょう。
日光に当たったり、散歩したりすることも制限されていたといいますから、不健康な生活だったのかもしれません。
徳川家茂の死因
『篤姫』原作では家茂の死因は、15代将軍慶喜による暗殺と天璋院は信じていますが、実際は虫歯がもとで体力が低下し脚気の悪化に拍車をかけ脚気衝心を併発したのではないかと考えることができます。
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母は入れ歯を持っていましたが、装着するのを嫌がり、最後まで数本しかない自分の歯でごはんを食べていました。
入れ歯を装着していたら、歯がもっと丈夫だったら、晩年母の食生活に悩まされることはなかったのかもしれません。