はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」
すっかり忘れていました。
昨日ひなた (id:myuutohinata)さんのこのブログを読んで思い出しました。
昨日は、父の命日でした。
しかもちょうど10年という節目でした。
こちらのブログを読ませていただくまで、忘れていたなんて、薄情な娘です。
妹から電話もきません。
たぶん妹も忘れているのではないでしょうか?
お墓参りの計画も立てていない。
ひなた (id:myuutohinata)さんのおかげで思い出すことができました。
ありがとうございます。
父がわずか50日ほどの入院で逝ってしまってから10年。
当初検査入院だったはずなのに、80代の父は入院したらあれよあれよという間に重症患者になってしまった。
入院する直前まで自力でトイレにいっていた父なのに、入院したらすぐに寝たきりになってしまった。
富山の田舎で生まれ育った父は、実は好き嫌いがとても多かったのですが、「ごはんを残す」という習慣がなく、食べ物を大切にして、出されたものは必ず嫌いな物でも残さず食べました。
高度成長期時代からバブル時代まで、サラリーマンだった父はゴルフが大好きで、よくコースに出ていました。
何でも食べて、運動もしていた父でしたが、残念ながら、あっという間に逝ってしまったのです。
まもなく95歳になる母は、とても元気で。
先週ベッドから落下して顔が紫色になってしまったけど。
母は好き嫌いだらけ。
野菜はほとんど食べない。
食べられるのは南瓜と胡瓜と白菜くらい。それも決まった料理で。
豆類海藻類もほとんど食べない。
マグロと鰻とお米で生きています。
今はもちろん、若い頃から運動はほとんどしない。
小さい頃運動会のかけっこではいつもビリだったそうです。
鉄棒は怖くて、「おそぎゃぁ~~~(名古屋弁で怖いという意味らしい)」と叫んで鉄棒にしがみついて泣いたといいます。
歩くのは好きでした。
何時間でも歩くことができました。
好き嫌いが多く、運動嫌いの母が、ほとんど病気をせず、時には骨折したり、腰を強打して寝たきりになったりと、数々の試練を経て、不死鳥のように蘇り、今元気に過ごしていられるのは、ただただ「根っから丈夫」としか言いようがありません。
父の亡くなった10年前。
とても暑い日でした。
危篤の連絡を受けて北海道から来た私を待っていてくれてありがとう。
すでに言葉を交わすことはできなかったけど。