母がいよいよ弱ってきた夏の初め、妹が自宅介護に関する本を買ってきて、それを借りて私も読ませてもらいました。
もっとも、全部読み終わらないうちに、母は逝ってしまったけど。
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千場純氏の『わが家で最期を』は、親の介護を通して、自分の将来も考えさせられる本でした。
目次
自分も「最期」を迎えるために
親を見送った後、自分も高齢者の入り口に立っていることに気がつきます。
私は父の時も「最期」に間に合うことができました。
北海道から駆けつけた時には、父は病院のベッドの上で管に繋がれて、もう意識はありませんでしたが。
母の場合は直前まで世話をし、自宅で弱っていく姿を目の当たりにして、最期まで自宅で看取ることができました。
そんな経験を思うと、『わが家で最期を』に書かれていた教訓も頷けます。
- 人は必ず死ぬと肝に銘じておくべし
- 自宅で、ひとりで死ぬ覚悟を持つ
- どこでどう死ぬかを考えておく
- 死が怖いからこそ、「死」について学んでおく
- 老衰で死ねなくても、長生きをするとご褒美があることを知る
- のぞむ死と現実の死は違う
- 死に往くときに苦しいのは、肉体ではなく精神の苦痛である
- 死に対する「備え」と「覚悟」は、元気なうちから
- ひとりで死ぬことと、さみしく死ぬことは違う
- のぞましい最期を迎えるには、「家」「人」「金」がキーワードになる
自分の死に対する準備
『わが家で最期を』では、身近な人を看取ることで、自分の死に対する準備ができると提唱しています。
他者の看取りは自分の死を迎える準備のためにあるということです。
私のこれから
母の介護を全力でがんばった私は、残りの人生は「ご褒美」で、幸せな気持ちで過ごせます。
独りになった時、自分は施設に入所したいと考えていますが、80代で入所するとしたら、あと20年と少ししかありません。
人との付き合いが好きですし、運動も好きだし手芸などの手作りも好き。絵や習字もやりたい。お祭りみたいなレクリエーションも好きです。
なので、きっと施設暮らしも楽しめると思う。
願わくば、お風呂が好きなので、大浴場に自由に入れる施設だといいな。
シニアの入浴は気をつけないと、危険と隣り合わせ。
大浴場で自由に入ることはできるんだろうか。