しかし物語の前半、源頼朝は大きく関わってくると思われます。
流人から武士の頂点である征夷大将軍に昇りつめた源頼朝の前半生について、今日はちょっとおさらいしてみたいと思います。
目次
鎌倉時代って?
武士の時代の幕開けにふさわしく、武士が朝廷から政権を奪う。
知恵はないが武力だけはある。
武士の半グレ集団をまとめあげ、暴力組織「源組」が立ち上がるよ!
さぁさぁ、ボコったもん勝ちだ!
1147年 頼朝誕生
三男でしたが頼朝は、母親の身分が長男二男の母親より高かったため嫡男として育てられます。
頼朝の母親は名門貴族藤原氏(藤原鎌足の息子
頼朝は2人の兄より家柄・地位が高いとされていたのです。
1159年 蔵人になる
頼朝はその血筋もあり、12歳で後白河上皇の姉
その翌年、頼朝は
出世の登竜門です。
平治の乱~13歳で初陣~
平治の乱で大出世
頼朝の父源義朝が後白河上皇の近臣藤原信頼と共におこした内乱、平治の乱で頼朝は初陣を飾ります。13歳でした。
平氏のトップ平清盛が留守をしている時を狙い後白河上皇の屋敷を襲撃します。
後白河上皇とその息子である二条天皇を幽閉することに成功しました。
このクーデターにより父義朝は受領最高峰の播磨守になり、頼朝は
NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で、源頼朝が伊豆の武士たちに「
清盛に惨敗
ところが、クーデターを知った平清盛が急遽都に戻ってきました。
清盛の挙兵によって、後白河上皇と二条天皇は脱出、これによって義朝たちは一転賊軍となったのです。
清盛の武力の前に惨敗。
父義朝は謀殺されます。
助命嘆願によって命拾い
父とはぐれた頼朝も平家方に捕らえられます。
たとえ年が若くても元服しているのですから、処刑されることを覚悟しますが。
頼朝は生き延びるのです。
なぜ❓
亡くなった息子に似ていた頼朝に心動かされた母心の助命嘆願に清盛も頼朝を生かすことにしたんですね。
う~ん、それはどうでしょうか。
実は上西門院統子と後白河上皇の圧力で、頼朝は命びろいしたのだという説があります。
源頼朝の母の一族に力を持っている人がいて、彼が上西門院統子と後白河上皇に助命嘆願したという説です。
1160年 流人生活始まる
母の家柄の良さのおかげで命拾いした源頼朝ですが、伊豆の伊東へ流されます。
都会のプリンスから田舎のニートへと転落した頼朝。
その身は平家方の豪族
ある程度の自由はきいたらしく、祐親が上洛している間に、こともあろうか祐親の娘八重姫と結ばれてしまい、男の子という千鶴丸までもうけるのです。
これを知った祐親は激怒!頼朝と八重姫を引き離しただけではなく、幼い千鶴丸を殺害してしまいます。
さらに頼朝の暗殺まで計画。
しかしこのピンチに救いの手を差し伸べたのが、祐親の二男伊東祐清でした。
彼は暗殺計画に反対していました。
その祐清の手引きにより、頼朝は伊東を脱出し、蛭ヶ小島の在庁官人であった北条時政の保護を受けるのです。
はい!『鎌倉殿の13人』は今ここまでですね!
私はBSプレミアムで18:00から『鎌倉殿の13人』第2回を楽しみたいと思います。
はっちゃけてる小池栄子さんはじめ三谷脚本には賛否両論。
王道の歴史ドラマを期待している方には受け入れられないかもしれません。
私は1年間視聴するつもりですよ😊