暮らしと勉強、猫と一緒に~Bettyのブログ

実家の母を介護するために北海道から引っ越してきました。その介護も終わり、片づけと大学通信教育部の勉強と猫と。そんな雑記ブログです。当サイトはアフィリエイト広告を利用しています。

天才武将木曾義仲の失敗というか不運というか

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平安時代の末期、日本は大混乱の中にありました。

平家VS.源氏

権力を握る平家に対し、源氏が挙兵。

合戦に次ぐ合戦が繰り広げられていました。

源平争乱です。

 

そして1人の英雄が登場。

平家の世をひっくり返すのです。

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いえ、今日は源頼朝のお話ではなく。

 

木曾義仲です。

信州の山奥で挙兵。

平家軍に連戦連勝を重ねた天才武将です。

 

NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』にもこれから木曾義仲は登場するかと思われますが(青木崇高さん演)、このブログには史実としてのネタバレがあることをご了承ください。

 

目次

 

天才武将、木曾義仲

天才武将、木曾義仲(1154~1184)は地方の反乱軍でありながら都を制圧するという、貴族の世から武士の世へ変わる転換点の1つといっていいほどの活躍をしたのに、なぜか『平家物語』などの軍記物には「野蛮な田舎者」としか描かれていません。

 

木曾義仲の生い立ち

木曾義仲は25年間ひっそりと木曽の山奥で隠れ住んでいました。

2歳の頃、父義賢が久寿2(1155)年、一族間の争いに敗れて源義平に殺され、義仲自身も命を狙われていたからです。

義仲は信州の豪族中原兼遠にかくまわれ育てられます。

義仲は孤児とはいえ、源氏一族の御曹司のひとりです。

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挙兵

都では、平家の政に庶民は不平不満をもっていました。

平清盛は都でやりたい放題、後白河法皇を幽閉し、院政を停止していました。

www.betty0918.biz

 

治承4(1180)年4月、後白河法皇の三男以仁王が各地の源氏勢力に向け平家追討の命を発します。

27歳の義仲もその命を受け、決起します。

 

木曾義仲の快進撃

育ての親中原兼遠の息子今井兼平樋口兼光巴御前などの数人の味方と一緒に、平家軍の大軍と戦います。

勢力は拡大し、地元の豪族を味方につけ、北陸の武士までもが味方になります。

 

木曽馬

義仲の戦を支えた1つに日本在来馬「木曽馬」があります。

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画像はイメージです

険しい山あいで育った木曽馬は、胴長短足で安定感が抜群。悪路でもふんばりが利き、機動力が優れ、山岳戦では無類の強さを発揮したといいます。おまけに喧嘩っぱやい性格です。

 

倶利伽羅合戦

挙兵から3年。

義仲は北陸をほぼ手中におさめていました。

しかし、平家の強大な軍勢が倶利伽羅峠で待ち構えていました。

平維盛が都から侵攻してきたのです。

4万対5,000という勝ち目のない戦いで、木曾義仲は圧勝するのです。

この勝利で、それまで平家に従っていた豪族や寺社勢力までもが義仲に味方するようになります。

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義仲は源頼朝をしのぐほどの強大な勢力を拡大することとなります。 

木曾義仲、どんだけ戦、強いねん!

地理を熟知していること、戦上手ということで、都の食糧庫である北陸を抑えた木曾義仲の快進撃です。

 

都へ

平家に討たれた以仁王の第一皇子北陸宮も命の危険を感じ、都を脱出して、義仲を頼ってきます。

都への不満をもつ地方武士を引き連れ、北陸宮という上洛の大義を掲げ、木曾義仲は都を目指します。

戦に強いだけでなく、北陸宮という正義を味方にしたことで正統性が備わったのです。

寿永2(1183)年7月、平家一門は西国へ脱出します。

都に入った義仲軍は、人々に「傲慢な平家を追い出してくれた英雄」として歓迎されます。

しかしその後義仲軍も平家以上に都で横暴なふるまいであったと『玉葉』や『平家物語』に記されています💦

 

 

次の天皇

次の天皇木曾義仲は北陸宮を推します。←この図々しさが後白河法皇を怒らせた💦

しかし後白河法皇は四宮を推します。

まだ4歳の四宮(後鳥羽天皇)が即位します。

後に承久の乱を起こして北条義時を困らせる後鳥羽上皇です。

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後白河法皇との決裂

木曾義仲は、朝廷との関係悪化を避けるべく、後白河法皇の命で西国の平家追討に出陣、瀬戸内での不慣れな水上戦に悪戦苦闘しながら法皇への忠誠をけなげに示し続けます。

その戦の最中に、源頼朝の命で源義経が上洛してきます。実はこれは後白河法皇の画策でした。義仲が西国にいる間に都から義仲を追討しようと考えたのです。

後白河法皇源頼朝は結託していたのです。 

後白河法皇、卑怯じゃない?

 

頭にきた義仲は後白河法皇天皇のいる法住寺を焼きます。

後白河法皇を幽閉し、政権を奪います。

クーデターです。

 

木曾義仲の最期

しかし、都の近隣に勢力を張る武士たちは鎌倉に寝返り、北陸で加勢した軍勢も離散。

結局義仲の元に残ったのは最初の木曽で挙兵した時からのわずかな手勢のみでした。

源義経の25,000騎を相手に、300騎で戦う義仲軍は壊滅します。

琵琶湖の南端で家臣であり幼なじみの今井兼平と落合い、義仲は兼平とたった2騎で逃亡し、自害を決意しますが、馬が泥にはまって身動きがとれなくなった一瞬に矢が突き刺さり義仲は亡くなるのです。

享年31。

寿永3年1月20日。西暦1184年3月4日。836年前の今日です。

 

木曾義仲の失敗

武士の時代の扉を蹴破った木曾義仲

反乱には優れた政治家と優れた軍人が必要です。

木曾義仲は軍人でした。

源頼朝は政治家でした。そして頼朝には弟源義経という軍人がいました。後に兄弟喧嘩するけど💦

義仲には時間がなかったのです。なにしろ歴史に躍り出てから亡くなるまでわずか3年ですから。

生き急いだのかもしれません。

 

義仲を弔うための木曽節

木曾義仲が鎌倉勢に討たれた滋賀県大津市では、1月20日の命日には毎年義仲寺で供養を行っています。

「木曽のナァー、ナカノリさぁん♪」という木曽節。

本当は「木曽のナァー、義仲さん」という歌詞だったのですが、世をはばかり歌詞を替えて歌い継がれているということです。

 

 

平家と源氏、そして木曾義仲の三つ巴だった短い期間。

私は4番目の勢力(?)奥州藤原氏が好きですけどね。

『鎌倉殿の13人』で藤原秀衡を演じるのは田中泯さん。楽しみです。

 

数年前に放送したNHKBSプレミアム『英雄たちの選択』をまとめてみました。

 

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