『草燃える』では若き日の松平健さんが、前半生の素朴な青年から執権として実験を握る後半生の義時を見事に演じられました。
陰謀を張り巡らせる非情な男で、有力御家人を討ち滅ぼすイメージがあるかと思います。
えぇ、父時政でさえも追放しますから。
おまけに朝廷にたてつき承久の乱では上皇を島流しにしちゃう逆賊です。
ずっと行方不明だったのに、80年ぶりに再発見された『承久記絵巻』(高野山霊宝館蔵)で義時の顔がようやくお披露目になったそうですよ😊
それまで史料としての肖像画はなかったのです。
目次
北条氏
その出自については、謎に包まれている部分も少なくありません。
義時の父時政以前については系図の相違が多く、保元・平治の乱にも不参加でした。
加えて広大な所領をもち、大規模な武士団を形成しているわけでもないため、伊豆の小豪族程度の評価しか与えられてきませんでした。
その一方で、本拠地の北条が伊豆の
近年の研究では、伊豆への土着(北条氏の成立)は時政の祖父時家の段階で、新来の武士の家であったこと、また京都の事情に明るい一族であったことが指摘されています。
時家―維兼ー時政ー義時
北条時家は、
北条氏は、伊豆の在庁官人(国衙の行政実務を担当する役人)をつとめる一族になります。
その北条時家の孫が時政で、その時政の息子が義時です。
家系図はいろいろな説がありますが。
北条義時が生まれた地
北条義時は、長寛元(1163)年、伊豆の国市で生まれました。
父は北条時政。母は伊東氏(祐親か)の娘で、兄に宗時、姉に6歳年長の政子がいます。
義時が青年期を過ごした伊豆国田方郡北条(静岡県伊豆の国市)は、伊豆半島の付け根の辺りに位置し、山がちな伊豆においてもっとも農業生産力の高い平野部にあります。
北条氏の邸宅は、西を狩野川が流れ、東を下田街道が走るという伊豆国における水陸の幹線ルートを押さえる交通の要衝に立地していました。
義時は幼名を「江間小四郎」といいました。江間は北条邸(時政邸)がら狩野川を挟んだ対岸に位置する地名です。
義時も源頼朝と出会わなければ、江間で静かに生涯を送ったのかもしれません。
源平闘諍録
『
北条氏初代時家など北条氏の家系にまで記述が及んでおり、この時代の代表作である『平家物語』や『吾妻鏡』を補うとされ、文学作品というよりは歴史的史料としての価値が高いものとして評価されています。
漫画『吾妻鏡』昨年購入したけどぜんぜん読んでないな~。
主人公は北条義時ですが、彼だけでなく鎌倉(頼朝、頼家、実朝の3代の)殿に仕えた13人の宿老の物語 として視聴したいと思います。
『草燃える』を視聴していた頃、JKだった私は三浦義村と畠山重忠と安達景盛が好きでした。
三浦義村を演じていたのは初代仮面ライダーの藤岡弘さん。鎌倉殿の13人では山本耕史さん
畠山重忠を演じていたのはウルトラセブンこと森次晃嗣さん。鎌倉殿の13人では中川大志さん
安達景盛を演じていたのは、現在チャリンコ旅をしている火野正平さんでした。鎌倉殿の13人では???