7月3日㈰のNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』では、源頼家の妻つつじが、チラリと映っていました。
演じるは北香那さんです。
このブログでは、ドラマのネタバレではありませんが、史実としてのネタバレが含まれることがございます。
ご了承くださいませ。
目次
頼家の正室って誰?
頼家の正室は不詳です。
若狭局
建仁3(1203)年の比企能員の変で、能員は北条時政に謀殺、一族は屋敷に火を放って自害します。
『吾妻鏡』によると若狭局もその子一幡もその時に焼死したとか。
または、逃げ延びた後に北条義時の手の者によって刺殺されたとか。←『鎌倉殿の13人』では、なんかまた善児が活躍しそうで怖い💦
辻殿
『鎌倉殿の13人』は、頼家の正室を「つつじ」としています。
史実では「辻殿」
父は三河源氏の足助重長。
母は源為朝(源頼朝の叔父)の娘です。←ここ、大泉洋さん演じる頼朝が気に入ったポイントです。
「女好きは我が嫡男の証し。実に頼もしいぞ。」と頼朝は喜んでいます。
正室は、若狭局か辻殿か
『吾妻鏡』に若狭局は愛妾、辻殿は室との記述が存在しますが、若狭局所生の一幡は嫡子に等しい扱いを受けていて(公暁より先に生まれたから?)、誰が正室かははっきりしていません。
『鎌倉殿の13人』考証の坂井孝一氏の著書『源氏将軍断絶』によると、源頼朝が父祖の義家、叔父の為朝、父の義朝と関係が深い賀茂氏(足助氏)の重長の娘である辻殿が、比企氏の娘若狭局より家格が高いということで、頼家の正室に選んだとしています。
公暁
辻殿は正治2(1200)年、頼家の第2子となる善哉(後の公暁)を産みます。
諸説あり。『
ご存知の方が多いと思いますが、この公暁の行動が、鎌倉幕府の今後に大きく影響します。
『鎌倉殿の13人』では、公暁役は佐藤浩市さんの息子さんの寛一郎さんです。私が描く公暁のイメージぴったりです!
頼家の死後
頼家は建仁3(1203)年に将軍職を追われ、翌年に横死。
善哉は後年僧侶になることが約束され、建暦元(1211)年に出家します。
辻殿はその前年の承元4(1210)年7月8日に出家しています。
812年前の今日です。
その後の辻殿は不明です。
1979年大河ドラマ『草燃える』に辻殿は出演してなかったような?←あくまで私の記憶です。
やたら若狭局がきゃあきゃあとうるさかった記憶しか残ってません。
『草燃える』で若狭局を演じてらした白都真理さんは、現在鎌倉市小町でワイン茶屋『Vin茶屋 OMOTE』を営んでらっしゃるとの情報もあります。