NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』、登場人物ひとりひとりが興味深いし、魅力的です。
今日紹介するのは、一瞬にして殺されてしまった佐竹義政。
13人の中の人ではないですが、佐竹義政とその家についてちょっと語らせてください。
私はドラマのネタバレは存じ上げませんが、史実としてのネタバレがあります。ご注意ください。
目次
源家の系図
まずは系図。
ついでにいうと武田信玄だって、足利尊氏だって、新田義貞だって、みんな源氏の流れで親戚です。
佐竹義政の死~金砂城の戦い~
第10回「根拠なき自信」で、佐藤浩市さん演じる上総広常に「つまんないこと言うから」というわけのわからない理由で、佐竹義政は斬り捨てられてしまいます。
広常、あまりに短気だ…
佐藤浩市さん、『新選組!』の芹沢鴨がのりうつったのかと思いました💦
最初からそのつもりだった?
金砂城に立てこもった二男の佐竹秀義らに対して総攻撃が行われます。
その戦略で頼朝軍はあれこれ思案するのですが。
しかし、上総広常が佐竹義季(佐竹秀義の叔父)と内通するという活躍をみせ、戦を逃れます。←戦をやりたがっていた義経くんがブチ切れてました。
違う説として『
佐竹氏は滅亡しなかった
系図でわかるように、佐竹氏は義政亡き後も滅亡を逃れます。
頼朝に従って奥州合戦に加わっているという説もあります。
その後も内紛に巻き込まれながら、なんとか中世を生き残ります。
1600年の関ケ原の戦いでは、東西のどちらにも与しなかったことで、家康の不興を買い、400年にわたって領した常陸から出羽秋田に移封されます。
平安時代後期以来の先祖伝来の地である常陸を去ることになりますが、秋田藩主として明治維新まで家名を保ちます。
幕末の戊辰戦争では官軍に属して戦います。
秋田県知事
現在の秋田県知事佐竹敬久氏は、分家筋ですが、末裔のひとりです。
源氏は、いろいろと揉め事が多くて、滅亡していった家も多いのですが、運がいいというか、賢明な判断がよかったというか、生き残り現代へと血を繋げていった家もあるのです。
当たり前だけど。