自慢じゃないけど、私は片付けも掃除も苦手です。
主婦向け雑誌の特集で1番人気なのは「片付け」「掃除」だとか。
「片付け」「掃除」、苦手な人もそうでない人も、関心ある分野なのでしょう。
目次
日本の家は片付かない?
「日本の家が片付かないのには理由がある」と大胆な考察を掲げるのは、佐光紀子氏。
結局のところ、「日本の家=狭い」からだと思うのですが。
佐光紀子氏は、「和洋折衷」が原因だと提唱しています。
戦後、日本住宅公団が設計した団地の部屋には、畳の上に絨毯が敷かれ、狭い部屋にソファ―セットとテーブルが置かれ、日本人は西洋式スタイルを取り入れたのです。
その結果、「掃除しにくい家」ができあがってしまいます。
40㎡の小さな空間に押し込められた西洋式スタイルは、日本人が憧れた「欧米化ライフスタイル」の出発点でした。
ダイニングキッチンの出現
日本の団地第1号は1956年大阪に作られました。
台所と食堂を一室にまとめたダイニングキッチンが出現します。
それまでは、畳にちゃぶ台を置いて食事をしていたのです。
それが、ダイニングで、テーブルとイスを使って食べるようになります。
一部屋使いまわし
だいたい、それまで日本では、「夜は布団を敷いて寝室として使い、朝になったら布団を片付けて食事室にする」といった一部屋を使いまわしていたのです。
私が育った家は裕福ではなかったので、昭和40年代まで私は「一部屋使いまわし」の家で暮らしていました。
食寝分離論
食事をとる部屋と寝室を分けることを「秩序ある生活にとって最低限の要求」として重視したのが、建築家・建築学者西山夘三氏による「住居空間の用途構成に於ける食寝分離論」です。
西山氏が食寝分離論を提唱したのは昭和17(1942)年。
なんと戦中です。
庶民が小さな家であっても食事場所と寝る場所を分けようとする傾向が強いことを突き止めます。
食寝分離を取り入れた住宅計画論を打ち出し、それは第二次世界大戦後に普及したダイニングキッチンや、2DK、3DKなどの平面構成を、日本住宅公団(のちの都市再生機構)が取り入れる際の理論的根拠ともなります。
また、住み方を調査した上で住宅計画を立てるという、科学的な計画方法の始まりともなって、その後の建築計画学の成立にも寄与しました。
ベッドルーム
布団のほこりの立つところで食事をするのは、衛生面からしても問題あるでしょう。
こうして、ベッドで寝起きする欧米の寝室と食事室が異なるというスタイルが、日本でも定着していくのです。
食寝分離は寝たきりを防ぐ
高度成長期時代、狭いアパートに住み、その後賃貸戸建て、マイホームと住む家のスタイルが変わっても、私の両親はずっと畳の部屋で寝る習慣でした。
他に部屋があっても、食事をする居間で、夜になるとちゃぶ台を片付けて、そこに布団を敷いて寝ていました。
今のマンションで暮らすようになってからも、居間に隣接する和室で父は寝、母はなんと居間(フローリング)の隅っこに布団を敷いて寝ていました。
母は、転んで腰を痛めた2020年の冬までずっとそのスタイルで寝ていたのです。
腰を痛めたのを機に私が無理やりベッドで寝かせるようにしました。
それ以来、今でもベッドで寝ています。
食事をする場所と寝室を別にすること。それは高齢者にとって、「寝たきりを防ぐ」ことにもなるのです。
母の生家である名古屋にあった家がとうとう取り壊されたようです。
明治に建てられた家。
古民家ならぬ、ただの「壊れかけた家」になってました💦
壊れなくてよかった。