毎日の食事。
どこでいただいていますか?
ダイニングテーブルで食事する方が多いでしょう。
目次
明治時代以前の食卓
日本人がちゃぶ台を使うようになったのは明治時代からです。
それ以前は銘々膳を使っていました。
ちゃぶ台は「1つの食卓をみんなで囲んで、座って食べる」というところに特徴があります。
明治維新によって社会が変わり、人間関係が平等になったので成り立つようになったのです。
武家時代、家長を頭に、男、年長者が上で、女、年少者が下とはっきり位置づけられていたのです。それは農民も職人も商人も。
食事も上座から下座に向かって、身分の順に並んで銘々膳を前にして正座し、家長が箸をとってから食べ始めました。
ちゃぶ台の登場
明治20年代後半になると折畳脚などちゃぶ台についての特許申請が多数出されていることからわかるように、家庭にちゃぶ台が使われはじめます。
明治36年には堺利彦が『家庭の新風味』という文章を書いてちゃぶ台の使用を呼びかけています。
一家団欒の景色はもっとも多く食事のときにある。この点から考えれば、食事はかならず同時に同一食卓においてせねばならぬ。食卓といえば、丸くとも四角でも大きな一つの台のことで、テーブルといってもよい、シッポク台といってもよい、とにかく従来の膳というものを廃したいと我輩は思う。さて同時に同一食卓においてすれば、みな同一のものを食わねばならぬことはもちろんである。世に不心得なる男子があって、自分は毎晩酒さかなの小宴を張って、妻子には別間でコソコソと食事させる、というようなことをする。これはじつに不人情な、不道理な、けしからぬことである。
堺利彦『家庭の新風味』より
これはちゃぶ台と家庭の民主主義を結びつけたといえます。
幸徳秋水と『平民新聞』を出していた社会主義の堺利彦らしい意見かもしれません。
昭和の時代
昭和10年代には、ちゃぶ台は全国に普及します。
もっとも、封建制の強い農村や商家では昭和40年代でもまだ銘々膳を使っていたところもあったようです。
一家団欒の象徴、ちゃぶ台も、生活の合理化と洋風化傾向の流れ、そしてこれを支えた経済の高度成長によって、しだいに椅子座のダイニングテーブルに変わっていきます。
ちゃぶ台からテーブルへの転換は昭和30年代後半に始まります。
戦後憧れていたアメリカ流の豊かな暮らし、それを象徴する明るく、楽しいダイニング、これが経済成長によって手が届くものとなったことで、テーブル化は急速に進んでいき、昭和40年代から50年代にちゃぶ台からテーブルに交代し、昭和60年代にはほぼ転換し終えます。
時代錯誤だった(?)我が実家の食卓
私の実家は平成になっても、なおダイニングテーブルは導入しなかったけどね。
私の実家がずっとダイニングテーブルを導入しなかった理由として。
寒い北陸では、冬の炬燵での生活が居心地よかったから。
北陸を離れてマンション暮らしになってからようやくエアコン暖房が可能となりましたが、その頃すでに70代だった両親はエアコンに馴染みがなく、冬もそして夏でさえもほとんと使用することがありませんでした。
マンションでの生活でもダイニングテーブルは買わず、ずっと冬は炬燵、夏は座卓で食事をしていました。
6年前に私がこのマンションに越してきて、北海道で使っていたテーブルと椅子を持ち込むまで、ずっとそんな昭和の風景でした。
ちゃぶ台があった「茶の間」から、テーブルと椅子がある「リビングダイニング」に変わった令和の家。
正座から解放されて快適なので、もうちゃぶ台の生活には戻れないと思う。