母は自分の家の自分の部屋で亡くなりました。
行年97歳。
私と妹夫婦、甥っ子(母の孫)、長女(母の孫)に看取られて亡くなりました。
自宅で亡くなる「在宅死」は特別のことのように思えますが、約70年前の1951年には82.5%の人が自宅で最期を迎えていました。
病院で亡くなる人が増えたのは、1961年に現在の国民皆保険制度が整備され、誰でも少ない自己負担で手厚い医療がうけられるようになった影響が大きいそうです。
1976年には「病院死」が48.3%になり、在宅死(46.3%)を始めて上回りました。
その後は「病院死」が当たり前になり、現在は7割の人が病院で最期を迎えています。
昨年96歳の誕生日を迎えた頃から、母は食欲がなくなり弱っていきました。
その後一進一退を繰り返す中で、訪問診療をお願いすることを決めました。
弱ってきている母に訪問診療をお願いするというのは、最期まで自宅で過ごすことを覚悟したことになります。
「病院死」を希望するのであれば、母の体重が30kgを下回るようになった7月頃に入院を検討したでしょう。
病院以外の場所で亡くなると、警察から事情聴取を受けるのでは?と誤解される方もいらっしゃると思います。
しかし、継続的に訪問診療を受けていたのであれば、問題なく自宅で看取ることができます。
容態が急変した時は、救急車を呼ぶのではなく、訪問診療の先生に連絡をします。先生の携帯は24時間繋がります。
救急車を呼ぶことは、積極的な救命治療をしてほしいという意思表示になります。
母は入院して治療を受ければ、あと数か月長生きしたかもしれません。
母が80代であったなら、私は入院を希望したと思います。
しかし、97歳の母には「在宅死」を選びました。
妹と意見が一致したことも幸いでした。
私と同じように自宅で介護し、お父様を亡くした友人から「達成感あるよね。」とLINEがきました。
「介護をやりきった」という意味です。
彼女は元看護師。大きな病院を早期退職して、ご両親の介護に尽くしてきました。
えぇ、私は「介護をやりきった」という気持ちでいっぱいですよ。

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母が亡くなった2日後の夜、ジムのお風呂に浸かりながら、「あぁ、これからは時間に追われることなくお風呂に入れるんだな。」と思いました。
ジムにいても、買い物をしていても、いつも「早く帰らなくちゃ。」という気持ちに駆られていましたから。
昨日なんて、お風呂1時間以上入ってた。
何人ものジム友さんに「おかあさまは元気?」といつも聞かれるのですが、亡くなったことを伝えると皆様優しく、そして悲しむというよりは「Bettyちゃんはいつも優しいよね。よく頑張った。」と褒めてくださいました。私は母に対して「優しい」だけではなかったけどね。いっぱい怒鳴ったし💦
悲しみを共感するより、その言葉が嬉しかったです。