母が亡くなって5ヶ月がたちました。
私が母を自宅介護するようになって、6年と少しが経っていました。
父が亡くなって、母は独り暮らしをしていたのですが、その後母は転倒し圧迫骨折をして歩けなくなってしまいました。
それを機に、妹が夜だけは母の家に泊まるようになりました。
その生活が、2年7か月が続きました。
私が同居するようになるまでの、2年7か月の母の暮らしを備忘録として、ブログに記させていただきます。
目次
2014年12月、母転倒
父が亡くなって、母は3年4か月独り暮らしをしていました。
独り暮らしの母の家に、当時北海道に住んでいた私が遊びに来ていました。
その私の目の前で、母が転んでしまいました。
朝、布団から起きようとして転倒したのです。
起き上がれません。
近所に住む妹に連絡して来てもらい、私と妹と甥っ子ふたりと4人がかりで母を病院に連れていきました。
大学生の甥っ子が母をおんぶしてくれました。
それから、しばらくの間、母は歩くことができなくなりました。
独り暮らしはもう無理なので、妹がしばらく仕事を休み、一緒に暮すことになりました。
母の介護認定を申請し、担当のケアマネさんをつけてもらい、本格的に介護が始まりました。
ヘルパーさん、訪問リハビリさん、介護用具のレンタルなどを手配します。
この時の介護用品レンタルの業者さんには、母が亡くなるまで9年近くお世話になります。
2015年2月
母は痛みが軽減してきたため、徐々にできることが増えてきました。
妹は仕事に復帰しましたが、昼はヘルパーさんにお願いして、夜だけ母の面倒をみる生活になります。
家のこと(子供の世話など)は義弟(妹の旦那様)にお願いしていますが、夕飯の支度のために妹は毎日自宅にも行きます。
ヘルパーさんには、買い物支援や掃除などの環境整備をお願いしました。
訪問看護師さんによる訪問入浴介助も利用します。
動けるようになると、ディケアサービスを利用します。
北海道に住む私は、仕事をやりくりして、3か月に1度のペースで3~4泊する習慣でした。
2016年
フルタイムで働く妹が自宅と母の家を行ったり来たりして、母の世話をします。
夜は母の家に泊まります。
母はディケアサービスを週に2回利用するようになり、だいぶ慣れてきました。
外出には、転倒防止のためシルバーカーを利用します。
妹は仕事で出張することもあり、そんな時は北海道から私が来て母の面倒を見ることが多かったのですが、ショートスティも利用するようになりました。
認知症状が徐々に進行しているので、ディケアサービスやショートスティで人との関わりを持つよう促していきます。
2017年7月
夕方に仕事から帰ってきて、自宅と母の家を毎日往復する妹。
妹は疲れ果てている状態でした。
北海道で暮らす私は仕事を辞め、母と暮らすことにします。
私の子ども3人が全員社会人となり、北海道を離れたタイミングでした。
母が転倒して寝たきりになり、私が同居介護するまでの2年7か月の間、仕事と自宅の家事と母の世話を担っていた妹は本当に大変でした。
協力してくれた義弟にも感謝です。