6年と2か月にわたって、自宅介護してきた私。
その備忘録を綴っています。
前回のブログでは、独り暮らしの母が転倒し、介護認定を受け、その後私が同居介護するまでを記させていただきました。
今日のブログはその続き。
母と同居を始めた2017年7月からの記憶をたぐりよせて、ここに備忘録を残しておきたいと思います。
目次
2017年7月、同居介護始まる
母と同居するために、私は仕事を辞めて、北海道から引っ越してきました。
hiro-beans-attack-no1.hatenablog.com
私の子どもは社会人になるのを機に、3人とも北海道を離れています。
主人だけが北海道に残り、仕事をしながら義父母の生活を介助していきます。
2020年、転倒とコロナ禍と
母と同居してしばらくは、私もわりと自由に外出ができたのです。
私と同居してからは、母がディケアサービスに週に3日通っていましたから、その日は私も自由時間がありましたし。
ショートスティを利用して、北海道や金沢に旅行することもありました。
しかし、2020年1月に母が室内で転倒し、しばらく寝たきりになりました。
訪問リハビリと訪問入浴介助を利用します。
ディケアサービスはお休みします。
世の中はそのままコロナ禍に突入し、母のディケアサービスは、母が歩行復活してからもお休みすることになりました。
3月にはずいぶんと普通に歩けるようになってきたのです。
ただ、認知症状は徐々に悪くなっていきました。
そして、再びディケアサービスに通うようになったのは、夏でした。
長く休んでいたため、母が通所を嫌がるようになり、週3日通っていたディは、週1日になりました。
認知症状は進んでも、日常生活の歩行は支障ありません。
ディや通院などの外出時にはシルバーカーを利用しています。
2014年12月の転倒以来ずっと借りていた車椅子は、2020年12月に返却しました。
2021年、病院を変える
母は、私と同居する以前から、ずっと高血圧や認知症の進行を防ぐお薬を飲んでいました。
しかし、徒歩数分の病院まで連れて行くのに、母の足では30分ほどかかり、またとても待ち時間の長い病院でしたから、1か月に1度の通院は私にとっても母にとっても負担でした。
母の歩行はますます下手になり、その病院ではなく、もっと近い診療所に変えることにしました。
母がお世話になっている施設に併設されている診療所で、看護師さんは通所やショートスティなどで母のことをよく理解してくれていたことも心強かったです。
また、偶然にも受付は私のジム友さんでした。
ジムでは自分の仕事のことなど、プライベートはあまり話さないので、病院の受付で初めて知りました。
診療所までは、母の足で10分ほど。待ち時間も短くなり、通院の負担がかなり軽減されました。
2022年9月、母が急に弱ってしまった
北海道の義母が亡くなったため、私は母の世話を妹や娘に頼んで、長く家をあけました。
また、その頃施設でクラスターが起きていたために、長くディケアサービスを休んでいました。
たまたまのタイミングだったのか、そういったことが重なったからなのか、母の食欲が激減し、普通食をほとんど食べられなくなりました。
口数が減り、表情がなくなりました。
もう、好きなマグロも食べられなくなってしまったのですが、プリンやゼリー、介護食などを工夫して、母は元気を取り戻していくのですが、食事の量が格段に減りましたから、体力はなくなっています。
歩き方も下手になっていきます。
外出時の歩行が難しく、返却した車椅子を再び借ります。
近くの診療所へ、シルバーカーで徒歩で行くのが困難になり、車椅子での通院となります。
そして、訪問リハビリをまたお願いすることにしました。
2020年に担当してくれた理学療法士さんに再びお願いしました。
2020年当時は女性と男性、2人の理学療法士さんが交代で担当してくださいましたが、コロナ禍で女性の方は転職されたそうです。
2022年秋からは、男性の方に再びお願いすることができました。
その男性の方も2023年7月で転職され、母が亡くなるまで2か月ほど担当してくださったのは20代半ばの若い男性スタッフさんでした。
介護業界では人の入れ替わりが多くあります。
2023年2月、また母が転倒
今からちょうど1年前。
また母が転倒しました。
2020年の転倒では骨折しませんでしたが、この時には恥骨骨折しました。
それでも訪問リハビリのおかげで、また歩けるようになったのです。
2023年夏
歩けるようになったものの、母の食欲は落ちる一方。
体力がなくなり、室内での歩行も、手すりにつかまりながらようやく移動している感じです。
「自宅での看取り」を意識して、訪問診療を開始しました。
それまでの担当のお医者さんに「訪問診療」について相談したところ、後押しをしてくださったことが決断のきっかけでした。
8月には、孫たちがたくさん遊びに来てくれて、母は楽しそうでした。
孫の名前も顔もすっかり忘れているのだけど(笑)
名古屋から従姉も来てくれました。
9月の誕生日で、97歳を迎えることはできましたが、その2週間後に母は旅立ちました。
まとめ
「転倒からの歩行困難」という節目があると、介護は大きく変わります。
しかし、あたりまえですが「転倒」しなくても、「老い」は進行していきます。
母の場合は2022年9月に急激に食欲激減したことがありましたが、それ以外は徐々に、徐々に、いつの間にか弱っていってしまったのです。
「コロナ禍」で、私の外出が減り、母がディ通所をお休みしたことは影響しています。
まぁ、90代という年齢を考えると、「コロナ禍」に関係なく身体能力も認知能力も衰えていくのは当然ではあります。
母のいない生活にはなんとなく慣れてしまったけど、最期まで「悔いなき介護」を全うできた事で、今私は幸せな気持ちで過ごすことができています。