栄養管理アプリを利用するようになって、1年とちょっと。
もともとは、自宅介護していた母の栄養を考えたくて始めたアプリですが、いつの日か私のダイエット&健康のために利用するようになりました。
最近はかなり好成績もとれるようになってきました。
スイーツと脂質を控えめにして、野菜をたっぷり摂れば成績あがります⤴
しかし、野菜だけではだめですよね。
目次
生春巻きで野菜とたんぱく質
たとえば、生春巻き。
最近は、野菜をかなりたっぷり入れて巻くようになりました。
野菜がたくさんだと食べにくいので、生春巻きを半分に切って食べています。
野菜だけでなく、私はカルシウムやたんぱく質不足を指摘されることが多いので、最近は意識しています。
ビタミンBも大切なので、バラ凍結の豚肉を常備しています。
今度、生春巻きにも茹でた豚肉を使ってみよう。
ビタミンB1不足による脚気の歴史
脚気がビタミンB1欠乏症で起こることがわかっています。
脚気は重症化すると、末梢神経や中枢神経が冒され、足元がおぼつかなくなったり、心不全を起こして死に至ることもある病気です。明治時代に大流行した脚気は、長い間原因が解明されず、大正時代には結核と並んで2大国民病と言われるほどになりました。農林水産省HPより
江戸時代、庶民は玄米を食べていました。
しかし、都市部の身分の高い人は白米を食べていました。その頃から奇妙な病が流行りだしたのです。
江戸を訪れた地方の大名や武士に、足元がおぼつかなくなったり、寝込んでしまったりと、体調を崩すことが多くなりました。
そんな人たちも故郷に帰るとケロリと治ってしまうことが多かったのです。
のちにわかったことですが、これはビタミンB1不足が招いた「脚気」という病気です。
胚芽部分に多いビタミンB1は精米で取り除かれてしまうため、白米にするとわずかしか残りません。
おかずの量も数も少なかったことも、ビタミンB1不足の原因になったのです。
明治時代の医学者たち
明治時代には多くの脚気患者がいました。
軍医・高木兼寛
高木兼寛という海軍の軍医はイギリスに留学して医学を学んでいましたが、彼は脚気はたんぱく質が少なく糖質が多いときに起こると考え、明治16(1883)年、脚気の「栄養原因説」を提唱します。
イギリス海軍で採用されていたカレーが、栄養バランスが良いことや調理が簡単で大量に作れること、そして何よりおいしいという理由から、日本の海軍でも採用されることになりました。
明治41(1908)年には、海軍が料理レシピをまとめた「海軍割烹術参考書」を発行。全国の海軍内にカレーが普及していきます。その伝統は海上自衛隊にも引き継がれています。
高木兼寛が海軍にカレーを摂り入れたことに関しては根拠や出典が見当たらないという説も。
高木兼寛は東京慈恵医科大学を設立したりと、要職に就き、大正3(1914)年に海軍を退役します。大正9(1920)年4月13日、脳溢血により死去しました。104年前の今日です。
文豪・森鴎外
「栄養原因説」、これに反論したのが文豪・森鴎外です。
森鴎外は大学を出て、ドイツに留学して医学をまなんだ陸軍の軍医でもあります。
森鴎外が留学したドイツでは、細菌学の研究が盛んで脚気も伝染病のひとつだと考えられていたのです。
結局、日清戦争(1894年)や日露戦争(1904年)において、陸軍では約29万人が脚気になり、約3万人が死亡しています。
農学者・鈴木梅太郎
農学者・鈴木梅太郎がビタミンの存在を発表したのが明治43(1910)年。
米ぬかから脚気予防の有効成分オリザニン(ビタミンB1)を抽出することに成功します。
令和時代に脚気は?
通常、人の膝の下をたたくと足が跳ね上がりますが(
私が子供の頃は、小児科に行くと、お医者さんが膝の下をたたいて検査してくれましたっけ。
医学が進歩し、ビタミンについて研究が進んだ現代では、脚気にかかる人は少なくなっています。
私の母などは、ずっと「肉」を目の敵にしてきました。
「野菜が何より大事な栄養素」と力説していましたっけ。
そんな母も97歳まで長生きして、亡くなる数か月前までは自分で歩いていたのですから、アッパレというべきでしょう。
晩年のおばあちゃんは、お肉は食べなかったけど、マグロと鰻を毎日食べていたから、たんぱく質は摂れていたんじゃない?