暮らしと勉強、猫も介護も~Bettyのブログ

実家の母を介護するために北海道から引っ越してきました。片づけと大学通信教育部の勉強と猫と介護と。雑記ブログです。

渋沢栄一、もうひとつの顔

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『青天を衝け』第40回『栄一、海を越えて』での徳川慶喜「快なり。快なり、快なりじゃ!」の台詞すごくよかった。

草彅さんの慶喜は晩年になればなるほどしっくりきました。

 

そして、昨日が最終回でした。

今年の大河ドラマ『青天を衝け』の主人公、渋沢栄一

ドラマの脚本を手掛け始めた頃は、コロナ禍によって翻弄されるとは思わなかったの

でしょう。

ドラマ序盤は、ずいぶんと青年栄一の成長する姿をゆっくり描きましたが、全41話となったために後半明治になってからは駆け足で進みました。

大正になってからはもっと駆け足の全力疾走でした(笑)

最終回はもっと駆け足の全力疾走で過呼吸になりそうなくらいでした(笑)

いったい最終回で何年進んだのだ❓

最終回が孫渋谷敬三の語りで進んだのはよかったなと思います。

あまりのスピードに私はちょっと消化不良です。

 

次々に会社を興した経済人という印象の強い渋沢栄一ですが、日本の社会福祉創始者でもあります。

 

目次

 

パリ万博で資本主義との出会い

慶応3(1867)年、15代将軍徳川慶喜の弟徳川昭武を長とするパリ万博視察団の中に28歳の渋沢栄一がいました。

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そこで栄一は資本主義と出会います。

資本主義の仕組みを使えば巨額の資金を調達できる。文明発展の原動力です。

栄一は決意します。

■栄一のパリでの決意■
銀行や株式会社などの資本主義のシステムを日本に作ろう。

 

明治となった日本に帰国した栄一は民間人の立場で第一国立銀行を設立します。「国立」とありますが民間の銀行です。

日本資本主義の父として歩き始めたのです。

 

松平定信が行った七分積金

明治文明開化の一方で、東京には繁栄から取り残された浮浪者があふれていました。

渋沢栄一は貧民の生活救済の問題意識を抱えていました。

明治7(1874)年、栄一は東京府知事大久保一翁から、七分積金の運用をするようにとの依頼を受けます。

 

七分積金って何?

 

七分積金とは社会福祉事業の原点で、松平定信寛政の改革にまで話が遡ります。

松平定信は江戸時代8代将軍徳川吉宗の孫。

渋沢栄一の時代よりずいぶんと昔の人です。

誕生は宝暦8年12月27日。263年前の今日です。西暦だと1759年1月25日。

 

寛政の改革では、町内会の積立金の七分に相当する米やもみを徴収して備蓄しました。飢饉が災害が起こった時に徴収した米を「お救い米」として放出したのです。

さらに松平定信人足寄場という施設を作っています。

浮浪人に大工やわらじ作りなど手に職をつけさせる更生施設です。社会への復帰を計ったのです。

 

明治新政府の七分積金の運用

江戸時代が終わり、明治新政府になると、七分積金はそのまま東京府に引き継がれました。

この時、七分積金の総額は170万両。約170億円です。

財源がひっ迫していた明治新政府はインフラ整備に一部流用しました。

大久保東京府知事渋沢栄一に「七分積金を貧困者の救済のために使ってくれ。」と依頼します。

 

渋沢栄一の「東京養育院」改革

栄一は七分積金を使い、「東京養育院」の改革に乗り出します。

近代的な診療設備を設置、職業訓練所を設け技術を学ばせ手に職をもたせ社会復帰を支援し、子供たちには学問所を作り知識を身につけさせます。

養育院に関しては、最終回までずっと描かれていましたね。

 

渋沢栄一が行った福祉事業

栄一は、七分積金の生みの親松平定信を生涯信奉していました。

松平定信が行った更生システムにあるべき社会の姿をみていたのです。

渋沢栄一松平定信が行った改革をもっと近代的に合理的に社会福祉に取り組んだといえます。

職業訓練所や子供のための学問所などは、救貧というりょりは貧しさを防ぐための防貧です。

つまり、お腹がすいた人にお魚を与えるのが救貧であり、お腹がすいた人に釣り竿と釣りの仕方を教えるのが防貧なのです。

 

栄一は東京養育院廃案を提唱する富国強兵論者と真っ向から対立しますが、明治17(1884)年、東京養育院は廃止と決定します。栄一は養育院の所属は東京のまま委任経営を名乗り出て、民間資金で運営を継続します。

渋沢栄一したたか者です。したたかでなければ、善意だけでは長続きしないということがあるのです。

前年に完成したばかりの鹿鳴館でチャリティーバザーを開催します。

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画像はイメージです

高級品をオークションに出品させ、売上は3日間で7,500円。現在に換算すると約6,800万円です。
さらに渋沢栄一は多くの財界人を訪ね、寄付を募ります。集めた寄付金を公債や銀行預金に運用し資金を増やしていきます。

こうして東京養育院は東洋一の福祉施設になり、現在の東京都健康長寿医療センターへと繋がります。

 

『青天を衝け』最終回を視聴して、2019年9月4日に放送したNHKBSプレミアム『英雄たちの選択』をまとめてみました。

 

北海道開拓と渋沢

渋沢栄一とその従兄弟渋沢喜作は、北海道開拓にも力を注ぎました。喜作は十勝開墾合資会社の初代社長を務め、十勝の農畜産業の発展に貢献しました。

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農場の一角に創建された大勝神社は今も地域の人を見守っています…と『青天を衝け』第39回『栄一と戦争』の紀行で紹介されていましたが。

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「大勝神社」JR十勝清水下車徒歩2時間って(笑)

普通そんなふうに案内する❓(^^;

徒歩2時間で、誰が「じゃあ行ってみようか。」って思うか❓

 

 

来年度の大河ドラマ北条義時が主人公の『鎌倉殿の13人』

この時代をテーマにするのは、2012年度の『平清盛』以来です。平清盛』は私視聴してません。

40年以上前に見た『草燃える』の記憶をたどりながら、現在予習中です。

 

 

 

 

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