シャクシャインの戦いをご存じでしょうか。
1669年6月にアイヌでシブチャリの首長シャクシャインを中心として起きた蜂起です。
アイヌ2部族の抗争、報復の最中に、松前藩に対する武器貸与要請の使者に関する誤報から、松前藩への大規模な蜂起に発展したのです。
目次
アイヌとは
人間の生活を支える自然などのカムイ(神)に対して、私たちは人間であるという意味です。
かっては、本州北部、北海道、樺太、千島列島に住み、狩猟、漁撈、採集、農耕、周辺民族との交易を生業として、各地にコタンというコミュニティーを形成し暮らしていました。
シャクシャインの戦い
多種多様な種族部族のアイヌが分散し、集落での対立が多かった時代。
1669年のシャクシャインの戦いも、発端はそもそも、アイヌの部族同志の抗争でした。
シャクシャインと敵対する部族が武器の調達のために松前藩庁に使者を遣わしたのです。
松前藩側はこれを拒否、その帰路に使者が疱瘡にかかり亡くなってしまいます。
これが「松前藩による毒殺」という誤報になり、アイヌ民族は松前藩、ひいては和人に対する敵対感情を強めたのです。
1669年6月21日、シャクシャインらの呼びかけにより部族の敵味方なくアイヌの一斉蜂起が行われ、決起した2千の軍勢は和人を襲撃したのです。
長年の部族間対立や松前藩関係の深い親松前的なアイヌ集落もあり、これに加え鉄砲の威力など、戦いは松前藩勢優位となります。
松前藩からの和睦の要請にシャクシャインは応じることとし、松前藩陣営に出向くのですが、シャクシャインは和睦の酒宴で謀殺されてしまいます。
寛文9年10月23日のことでした。西暦ですと1669年11月16日。
353年前の今日です。
騙し討ちじゃん! 和人、ひどくない?
戦争は3年続きますが、指導者を失った蜂起者たちは最終的に松前軍に降伏します。
シャクシャインの戦い、その後
シャクシャインの戦いを経て、松前藩は蝦夷地における対アイヌ交易の絶対的主導権をにぎります。
アイヌにとって不利な条件となります。
松前藩のアイヌに対する経済的・政治的支配が強化されたのです。
松浦武四郎の『知床日誌』には
「女は最早十六七にもなり、夫を持べき時に至ればクナシリ島へ遣られ、諸国より入来る漁者、船方の為に身を自由に取扱はれ、男子は娶る比に成らば遣られて昼夜の別なく責遣はれ、其年盛を百里外の離島にて過す事故、終に生涯無妻にて暮す者多く」
とあります。
女は16~7歳になり、夫を持つ年頃になると国後島へ連れて行かれ、諸国よりくる漁師や船員のために身を自由に取り扱われ、男子は昼夜働かされ、遠く離れた離島で事故にあったり、生涯結婚することなく暮す者が多い…?みたいな。私の訳なので、まちがってたらごめんなさい🙇
現代のアイヌ事情
アイヌの衣装、祭具に見る美しいアイヌ文様、ユカラに代表される口承文芸、カムイとの関わりから敬い、感謝し、時に威嚇するカムイノミ(祈り)、神々とともに楽しむ歌や踊りなどの世界観は、アイデンティティーそのものであり、日本の多様性を表すものです。
しかしながら、日本の近代化の過程で、母語であるアイヌ語や民族の基層をなす文化の継承が危機に瀕していることから、その復興が急務となっています。
北海道白老町に2020年にオープンした「ウポポイ」は、「国立アイヌ民族博物館」「国立民族共生公園」「慰霊施設」により構成されています。
私にとっては、なかなか見ごたえがありましたが、冬に行くにはちょっと寒いかも。
で、当たり前ですが、興味ない人には興味ないかも(笑)