大河ドラマ「どうする家康」いかがでしょうか。
昨年の「鎌倉殿の13人」に比べて、ちょっと物足りないという意見も見かけますが。
私は十分楽しんでますよ。
目次
鵜殿長照って誰?
桶狭間の戦い以前から、尾張大高城の城代に任命されたといわれる鵜殿長照は、今川義元の親戚として重用されました。←諸説あり
三河国上ノ郷城主として宝飯郡一帯(現在の蒲郡市域)を支配し、今川氏に従属していました。
「麒麟がくる」での鵜殿長照
今まであまりドラマに登場してこなかった鵜殿長照。
確認のために、NHKオンデマンドで再視聴しました(笑)
佐藤誓さんが鵜殿長照を演じてられました。若き元康(風間俊介さん演)に偉そうに「鳴海城へ行け」だの「桶狭間へ行け」だのあれこれ命令してました。元康はその横暴さにキレて床ドンドンさせてました。
「どうする家康」での鵜殿長照
「どうする家康」での野間口徹さん、よかったですね。
眼鏡をかけていなかったから、真田広之さんかと思った!という声もあり。
鵜殿長照の最期
桶狭間の敗戦によって今川氏支配の領国は政治的に混乱します。
長照は松平家康(後の徳川家康)と対立することになり、家康は甲賀衆に火計を用いさせたため、上ノ郷城は攻め落とされ、長照は結局伴与七郎に討ち取られます。
永禄5年2月4日。西暦ですと1562年3月8日。461年前の今日です。
長照の息子たち
長照の戦死後、長照の二子氏長・氏次は捕らえられ、駿府に留められていた家康の妻子と交換する形で今川氏方へと送られます。
「どうする家康」ではここのところわかりやすく描いてくれました。
その後。
鵜殿兄弟は今川氏が駿河を失い没落した後はどうしたのでしょうか。
弟の氏次は、松平家忠に仕え、慶長5(1600)年の伏見城の戦いで家忠らとともに討死します。
しかし、兄の氏長は長生きします。
徳川氏に臣従して、姉川の戦い、長篠の戦い、光明城攻めなどに従軍し、徳川氏が関東に移った後は、1,700石を与えられ、慶長10(1615)年の大阪夏の陣でも戦列に加わっています。
氏長に男の子はいなかったようで、氏信を養子に迎え家督を継いでいます。
鵜殿鳩翁
「鵜殿」って名字からして、幕末に活躍した
鳩翁が養子だから血縁関係はなさそうだけど。
鵜殿鳩翁の先祖は鵜殿長忠になり、長忠は鵜殿長照の兄弟です。
鵜殿鳩翁は江戸時代後期、幕末期の幕臣です。
嘉永元(1848)年、目付として幕府に仕えました。
アメリカ合衆国のペリーひいきる艦隊が来航した時には日米和親条約締結の際の応対係を命じられています。
鵜殿鳩翁は攘夷を主張していましたが、井伊直弼が大老に就任して安政の大獄を開始すると左遷させられました。
井伊直弼は、徳川四天王のひとりであるご存じ井伊直政の子孫ですね。
「どうする家康」で井伊直政は美少年板垣李光人さんが演じられます。
板垣李光人さんの「李」という漢字、どうやったら出てくるのかなと思ったら、「すもも」で出た。