物の値上げが止まりません。
食費の優等生、卵でさえも。鶏インフルエンザの影響もありますね。北海道での卵不足を思えば、高くても買えるだけありがたいです。
日本では過去にも、値上げによる庶民の抗議が何度かありました。
今から240年ほど前の天明7(1787)年。
凶作と商人たちの買い占めにより、物が高騰します。
米の値段は例年の4倍以上に上がりました。
江戸の庶民の怒りは、政権交代へと幕府を追い込みます。
目次
「天明の打ちこわし」の背景
天明の時代の庶民の暮らし
江戸時代半ば。
農村から江戸へやってきた人がどんどん増えていきます。
決して、高い賃金で働いているわけではありません。
長屋に暮らす江戸っ子たちは、その日暮らしで質素な一汁一菜という食事で生活しています。
当時の人は1人1日3合の米を食べたといいます。
飢饉と買い占め
しかし、その食生活の中心である米が高騰する。
天明3(1783)年の浅間山噴火と異常気象がもたらした天明の大飢饉。降り続く火山灰と冷夏。大雨による利根川などの氾濫。米の収穫量は例年の3分の1となります。
幕府は「米国売買勝手令」を出して対策をたてようとします。
米の流通を自由に売買することができる政策です。
幕府としては米の流通を増やそうとしたのですが、この政策は商人による米の買い占めという方向に発展し、米の値が釣りあがります。
商人から賄賂を受け取り、役人が不正を働く行いをするというとんでもない輩もでてきます。
米価高騰で、家賃を払えず長屋を追い出された人の中には、身投げする人も出てきます。
田沼意次の失脚
それによって、20年にわたり老中として幕政を取り仕切ってきた田沼意次が失脚します。
幕府は混乱しています。
「お救い米」の嘆願書が提出されたのはそんな時です。
しかし、その結果は庶民が満足するものではありませんでした。
こうして怒り喰った庶民たちの抗議が5月の「天明の打ちこわし」へと発展します。
江戸の人たちに指示された「打ちこわし」
打ちこわしといっても、むやみに暴れたり家を壊していたのではありません。
まずは、打ちこわしの前に、数人で店の中に入り、きちんと火の元を消します。火事が起きたら大変だからです。
そして、打ちこわしはリーダーが打つ拍子木で始まり、息のあった動きで活動します。
途中、合図で休憩したりと、規律のある行動だったそうです。
店の商売道具はめちゃくちゃにしましたが、店の人に危害は与えず、物を盗むこともしません。
こうした打ちこわしの様子を見た水戸藩士は「まことに礼儀正しい」と評価しています。
打ちこわしは正義の行いであると記してある史料もあります。
江戸で暮らす人々は打ちこわしを憎むことなく、支持されていたのです。
しかし、打ちこわしにあった商家は1,000件とも。
この時に鎮圧するための取り締まりを指導したのが、『鬼平犯科帳』で有名な長谷川平蔵です。
長谷川平蔵って、小説の中の人だと思ってた。実在の人物だったんだね。
松平定信
幕府は「お救い米」を決定します。人々に米と大豆が支給されます。町人たちは喜び安堵しました。
これをきっかけに、徳川吉宗の孫である松平定信が老中に就任します。
田沼派に代わって政治の実権を握った松平定信は米価引き下げの政策を打ち出すのです。
商人と役人の癒着や賄賂を厳しく取り締まります。
米を大量に必要とする酒の製造を3分の1に制限。
地区ごとに米蔵を設置し、1か月分の米を備蓄します。
これらの功が奏し、その後に起きた天保の大飢饉に江戸で打ちこわしは起きませんでした。
松平定信の改革は一定の成果をあげますが、その厳粛な厳しい政治は様々な方面から批判もありました。
わずか6年で老中を辞任します。
松平定信は、文政12年5月13日亡くなります。西暦ですと1829年6月14日。
194年前の今日です。享年72。
辞世「今更に何かうらみむき事も楽しき事も見はてつる身は」
2023年秋放送のNHKドラマ10「大奥」Season2 で田沼意次を演じるのは松下奈緒さん。