私は、母が90歳の時から同居介護しています。
hiro-beans-attack-no1.hatenablog.com
長年住み慣れた北海道を離れ、母との同居を始めたのです。
その数年前から、妹が母の世話をしてくれて、父が亡くなったのをきっかけに、資産状況などはすべて把握していました。
なので、金銭的なことで、困ったことはなかったのですが、母に「自分の最期をどうしたいか」ということを聞いていませんでした。
ここ数年は、母は認知のため、判断ができなくなっていましたから、もっと早くに聞いておくべきでした。
私は、母の最期が近いであろうと予感した頃から、自宅で看取ることを決断していました。
「その日」まで、何か月かかるか、何年かかるか、わかりませんでしたが、とにかく近所に住む妹や長女にも手伝ってもらい、「がんばってみよう」と思ったのです。
訪問診療をお願いしたのが7月でした。
かかりつけのお医者様からの後押しもあり、ケアマネさんに「訪問診療」をされているお医者さんを探してもらったのです。
その時から「自宅での看取り」への道が始まりました。
具合が悪くなっても、救急車を呼ばず、訪問診療の先生に来ていただき、点滴をしました。
しかし、自宅での点滴は限界があり、結局母は点滴の針を抜いてしまい、翌日に亡くなりました。
救急車を呼ばないという決断は私がしたわけで、母の意向ではありません。
母がもっとしっかりしているうちに「延命治療をするか」ということを聞いておくべきでした。
母の介護において悔いはありませんが、「延命治療についての気持ちを母に聞かなかった」ことが心残りであり、反省点でした。
しかし。
妹曰く「ママは、パパが亡くなる時に、管に繋がられて意識のないパパを見て『私には延命治療はしないでね』って言ってたよ。」
父が亡くなる時?
2011年の夏だ。
その時母は84歳で、認知はなかった。(ちょっとはあったかもw)
そうか、母がそう言ってたか。延命治療は希望してなかったんだね。
妹よ、早くそれを言ってほしかったぜよ。
私の気持ちが楽になりました😊
父の入院は50日ほどでした。
入院して点滴をされている父は、何度も針を抜いてしまい、「点滴の針を抜かないよう父を拘束する許可」らしき書類に妹はサインしたそうです。
父が動かないように固定するってことかな?
お医者様に言われて、サインする以外なかったのですが、妹は辛かったそうです。
そのことも私は、母が亡くなった後に、妹から聞きました。
母の「自宅での看取り」に関しては、もちろん妹にも相談していたのですが、「母が延命治療を希望しなかったこと」も「父が病院のベッドに拘束するための書類に妹がサインしたこと」も、後になってから聞いたわけで、我々姉妹、しょっちゅうどうでもいいことはおしゃべりしているのに、肝心な情報が共有できていなかった(笑)
私は、娘に言っています。
「私には延命治療しなくていいから。」