難しいだろうなと思いましたが、やっぱり難しかったです。
徳富蘆花の『不如帰』を読みました。
目次
『不如帰』を読もうと思ったきっかけ
私は、2013年NHK大河ドラマ『八重の桜』をオンデマンドで全話視聴しました。
前半より後半の方がおもしろいのですが(私個人の感想です)、後半には聞き覚えのある登場人物がいろいろと出てきます。
その中の1人が徳富蘆花、仲野太賀さんが演じてられます。
そして山川捨松、水原希子さんが演じてられます。
『不如帰』は徳富蘆花の作品であり、主人公のモデルは山川捨松の義理の娘である大山信子がモデルです。
山川捨松を徳富蘆花がどんな風に描いたのか興味が出まして、『不如帰』読んでみました。
2013年のリアタイでの放送では、私は多忙で、『八重の桜』は、長女が視聴しているのをチラ見している程度でした。
ただ、徳富蘆花の出てくる話はすごく印象に残り、当時さほど名が知られていなかった太賀さんの演技は素晴らしかったのを覚えています。
難しい
明治に執筆された小説ですからね。
難しかったです。
なので、最初にネットであらすじを読んでから、本を読みました。
モデルになった女性たち
小説『不如帰』では、大山信子の継母・大山捨松が先妻の子である信子をいじめるのですが、史実ではそんなことはなく、大山捨松と先妻の子たちとの関係は良好でした。
しかし、『不如帰』がヒットしたせいで、大山捨松は世の中から大変なパッシングを受けたようです。
また小説の中では、信子の姑の三島和歌子も嫁に対してひどい仕打ちをしているのですが、これも事実ではありません。
三島和歌子、女中たちからも慕われる良い女性だったようです。
作者である徳富蘆花は、大正8年に、小説『不如帰』は実話ではなく、小説のために継母や姑を悪者に描いたのだと明かしています。
徳富蘆花
徳富蘆花は逗子の柳家を借りて住んでおり、逗子で静養していた大山信子と親しい福家安子から、この話を聞き、『不如帰』を執筆したのです。
山川捨松も三島和歌子も小説とは違い、とても良い人だったのですが、『不如帰』の作者である徳富蘆花は嫉妬深く、妻に暴力を働く最低なDV夫だったようです。
兄である徳富蘇峰と妻の仲に嫉妬し、国家主義的傾向を強める兄に対して一方的に強烈な葛藤を抱いていました。1903年には「告別の辞」を発表し、絶縁状態となります。
『八重の桜』では徳富蘆花が、兄徳富蘇峰に対して反感を抱き始めたところで最終回です。
1927年、蘆花は死の直前に病床で、久ぶりに再会した兄蘇峰と劇的な「和解」を遂げます。その夜、蘆花は死去。58歳。
9月18日でした。
95年前の今日です。
『八重の桜』で描かれた徳富蘆花と八重の姪っ子の恋物語は、小説『黒い目と茶色の目』として、1914年に発表されています。
『黒い目と茶色の目』、これも読んでみたいところですが、やっぱり難しい文体なんだろうな。