昨日12日㈫のNHK朝ドラ「らんまん」では、藤丸次郎が熱く語るシーンに胸が高鳴りました。
お酒ができるのは蔵の中に「お酒の神様」がいたからではない。蔵の中に清酒酵母が住んでいたから。
「おなごは汚れているから蔵に立ち入ってはいけない」とかいう根拠のない迷信は消え失せていく…という万太郎の言葉に涙する姉の綾。
バックに流れる音楽(阿部海太郎氏担当)もよくて、私泣きそう(´;ω;`)ウッ…
優しくて、でもちょっと世渡り下手(?)な藤丸。
藤丸次郎に実在のモデルはいるのでしょうか。
目次
藤丸次郎のモデルは2人いた?
藤丸次郎のモデルは2人いるといわれています。
たぶん2人のモデルをミックスしたのではないのでしょうか。
1人は田中延次郎。
もう1人は藤井健次郎です。
どちらも明治時代の植物学者です。
田中延次郎
田中延次郎は、江戸千住南組の酒問屋の長男に生まれ、東京帝国大学理科大学植物学科を卒業します。
高等菌類、植物寄生菌など、広い分野に関心を持ち、ハツタケやキノコなどの2新種の記載論文を発表しています。
ドイツのミュンヘン大学に私費留学し、酵母の研究などもしています。
東京帝国大学理科大学の講師も務めますが、妻を亡くした後、精神病を患い、41歳で精神病院で没しています。
「菌」について研究しているところ、実家が酒問屋というのが「らんまん」の藤丸と似ていますね。
牧野冨太郎の自叙伝にも、「延次郎の家が千住大橋にあり、酒店だったが、私はよく家に遊びに行った」とあり、仲が良かったことを伺わせます。
藤井健次郎
藤井健次郎は、ドラマの藤丸次郎と名前がよく似ています。
藤井健次郎は、「らんまん」主人公のモデル牧野冨太郎の4年後に、加賀国金沢城下(現在の金沢市出羽町)で、加賀藩士藤井平丞の長男として生まれました。
ドラマでは、万太郎が植物学教室の教授によって、大学への出入りを禁止される場面がありました。
実際のその通りだったようで、落ち込んでいた冨太郎の家に、藤井健次郎が何度も通い、励まして支えたそうです。
牧野冨太郎の日記には、昭和20年の終戦直前に、山梨県の疎開先で藤井健次郎と再会を果たしたと書かれていて、2人が強い絆でつながっていたことがわかります。
1911年には東京帝国大学理科大学の教授となった藤井健次郎。
牧野冨太郎同様、長生きだった彼はたくさんの功績を残しています。
妙連の研究
藤井健次郎は、大学院生時代、金沢市の寺・持明院に成育している、妙連というハスの研究をしました。
全国では金沢と滋賀県の2か所でしか見られないハスです。
染色体の構造・遺伝子
そして、健次郎は植物学にとどまらず、日本の細胞遺伝学研究の先駆者でもありました。
60歳の時には、細胞の染色体が「二重螺旋構造」であることを発表し、染色体の構造を明らかにしました。
「遺伝子」という言葉を最初に使った人でもあります。
女性・後進の指導育成
また、健次郎は多くの学者を育てました。
「科学者に女性は不要」と言われていた当時、健次郎は、男性も女性も関係なく、研究がしたいという人には、しっかりとした場を提供したそうです。
「キトロギア」で編集を担当した女性初の理学博士・保井コノもそのひとりです。
まとめ
私としては、「らんまん」藤丸次郎は、出自や研究の内容は田中延次郎、晩年の活躍は藤井健次郎であってほしいと思っています。
ドラマの藤丸も大学教授となって、長生きしてほしいから。
田中延次郎も藤井健次郎も牧野冨太郎と仲が良かったことは史実のようで、牧野富太郎が「らんまん」主人公の槇野万太郎のように性格の良い人であったろうと想像できます。