幸徳秋水は、旧暦明治4(1871)年9月23日に高知県幡多郡中村町(現高知県四万十市中村京町)で生まれました。
153年前の今日です。
日本は、明治5(1872)年まで太陰太陽歴である旧暦を使用していました。2~3年に1度の閏月、つまり13か月目の月を入れ、太陰暦のずれを太陽暦と合わせるという方法で、日本の気候風土や農事中心の生活と相性がよかったのです。
目次
大逆事件
明治43(1910)年6月1日、幸徳事件(大逆事件)が起こります。
幸徳秋水は愛人スガ(不倫の末に内縁の妻となった)と共に逮捕されます。
警察に逮捕された秋水のもとには元妻である千代子が面会に訪れました。不倫された末に離婚という悲惨な境遇でありながら千代子は献身的なのか。
手弁当を差し入れますが、秋水は全く手を付けなかったといいます。
幸徳秋水の妻
堺利彦の妻による手記に「幸徳秋水は妻運の悪い人であった」とあります。
「見合い結婚で失敗して、2度目に相当慎重に考えてから貰った千代子夫人ともうまく行かなかった。」と。
「千代子さんは病身で、結婚当初はよく動いていたが、元々台所を働くという柄の人ではなく、ぶらぶら寝たり起きたりするようになった。いきおい夫婦の間は面白くない。(中略)考えて見ると、千代子さんという人は運動家の妻となる人ではなかった。文士の細君になったらよかった人だろう。」
不倫の代償
秋水は管野スガ(荒畑寒村の妻)と不倫関係になり、千代子とは離婚するのですが、堺夫人の手記によると、「千代子夫人を離別すると、その大塚の家には同志の女性が多く集って、種々面倒を見ていた。後に彼と時と方法を同じくして死んだ管野須賀子(スガ)さんもその1人であった。」とありますから、堺夫人には千代子夫人と別れた後に管野スガと恋愛関係になったという認識なのでしょうか。
荒畑寒村(社会主義者・後の衆議院議員)とスガは結婚していたのですから、どちらにしろ不倫です。
この不倫に寒村は激怒し、ピストルを入手しスガを射殺しようとしますが実行できず、代わりに桂太郎の暗殺を企てたと言われますがこちらも実行には至りませんでした。
秋水とスガは仲間内からも白眼視され、寒村はもちろんのこと秋水と疎遠になった仲間が複数名おり、それゆえに大逆事件では連座を逃れた者も多いのです。
幸徳秋水の最期
翌明治44(1911)年、秋水は大審院において「大逆罪」で有罪、死刑判決を受けます。
秋水の死刑を阻止するために、徳富蘆花は自分の兄である徳富蘇峰を通じて内閣総理大臣・桂太郎へ嘆願しますが果たせず、秋水は明治44(1911)年1月に処刑されました。行年39歳。
内縁の妻であるスガも秋水の死の翌日刑死します。
ちなみに、管野スガの元夫荒畑寒村は、昭和56(1981)年まで長生きしますよ。93歳でした。
学生時代、幸徳秋水と幸田露伴と徳田秋声がごっちゃになっていた私です。
幸田露伴と徳田秋声が小説家だったので、幸徳秋水も小説家だと思ってました。