NHK大河ドラマ「どうする家康」は、その日によって良質なお話であったり、「❓」というお話であったり、ハイ&ローのクオリティのような気がいたします。私個人の感想です。
第11回「信玄との密約」では、椿姫とも謳われる「おんな城主」田鶴姫の最期に心打たれました。
徳川家康は若き日に今川義元の人質となっています。その頃に瀬名姫や田鶴姫とも仲良しだったという設定でした。
家康は、若い時代の人質時代の苦労がその後の成功に大きく関係しているのではないかと思います。
今日はそんな家康と同じように若き日を人質として過ごした真田昌幸と冷え性のお話です。
目次
真田昌幸という武将
2016年NHK大河ドラマ「真田丸」で有名になった真田昌幸。草刈正雄さんがかっこよく愛らしく演じていらっしゃいました。
その生活の中で、人を見極める力、社会を見極める力を養っていったのです。
そんな能力を身に着け、昌幸は人質にも関わらず武田二十四将のひとりにまで昇りつめます。
「真田丸」で草刈正雄さん演じる昌幸は、風見鶏のように力のある方へと二度三度方向転換しました。
関ケ原の合戦
そんな昌幸はなぜ関ケ原の合戦で徳川方の東軍につかなかったのでしょうか。
昌幸はなぜ石田三成率いる西軍についたのでしょうか。
徳川家康は自分の立場をよくすることばかり考え、約束も守らない…そんなふうに昌幸は考えていました。
ようするに真田昌幸は徳川家康のことが嫌いでした。(過去に昌幸は、家康の指示を受けた室賀正武に暗殺されそうになり、逆に殺した経験あり)
昌幸は自らの城、上田城に立てこもります。
そして家康の息子徳川秀忠を待ち受けます。
昌幸は徳川の大軍3万8000をわずか10分の1で翻弄し、その足止めに成功します。
その時昌幸は西軍の勝ちを確信したかもしれませんね。
しかしその頃関が原では半日で東軍が西軍をコテンパにします。
九度山時代
真田昌幸は関が原の合戦で徳川家康に敗れ、和歌山県九度山へ流罪になりました。
55歳の時です。
真田家は長男の信之が徳川家康に仕えて存続していますし、「そのうち許されるんじゃね?」みたいな気持ちでいた昌幸ですが、許されることはありませんでした。
なぜなら。
家康も真田昌幸のことが嫌いだったのです。
流された九度山で昌幸は亡くなります。
昌幸の死因はわかっていません。享年65。
九度山があるのは標高1,000m級の山に囲まれた高野山の麓。
冬場は降雪も多く下界から閉ざされ、氷点下が続きます。
九度山は高野山から冷たい空気が直接流れ込んでくる極寒の地なのです。
昌幸たちが暮らしていたのは、農家の納屋に近い家で、冬は隙間風に悩まされました。
経済的にも困窮していた真田昌幸と息子の信繁(後の幸村)。
重度の冷え性が昌幸を襲います。
体力も気力もなくなっていきます。
打倒家康の志は、息子の信繁へと受け継がれます。松潤大丈夫か?「どうする家康」に真田幸村(信繁)は登場するのか?
冷え性とうつ病の関係
九度山時代の昌幸がうつ病でなかったかと指摘する研究者もいます。
研究データによると冷え性の血流量は30%も低下。
脳に送られる血液も減少し、うつ病と同じような症状を引き起こすと考えられています。
九度山における昌幸の生活が彼の寿命を縮めたのかもしれません。
「冬期うつ」というのもこの現象のひとつですね。冬は寒いし、日は短いし。
冷え性対策
冷え性の対策はどうすればいいのでしょうか。
目を温めると冷え性が改善されます。
蒸しタオルを目にあててみましょう。
38℃のぬるま湯につけたタオルをラップにくるんで、目にあててみましょう。
5分もすれば足先が10℃も温まってきます。
目を温めるという行為は副交感神経が優位になり、血管が開いて全身の血行が改善して温まります。
私と一緒に「偉人達の健康診断」で「冷え性」について聞いていた96歳の母。
「私も冷え性だけど、こんなに元気よ。」だって。
春といえど、今日のような雨の日はかなり冷えます。
暖かかった昨日より10℃も低いとか。
皆様、「冷え性」にはご注意ください。