ジム友さんにいただきました。
神田明神へ行ってらしたそうです。
ピーナッツ味噌味のお豆。
お豆は大好きです。
あっという間に一袋全部食べてしまいました。
もうすぐ節分ですものね。
最近、節分は「豆」よりも「恵方巻」でスーパーは盛り上がっていますね。
「豆」より「恵方巻」の方が単価高くて、利益に繋がりやすいから?
恵方巻がメジャーになったのって、わりと最近です。
もともと大阪のローカルな風習でしょ?
それをセブンイレブンが全国に広めたという噂(笑)
戦国時代の武将が節分に巻き寿司を食べたら強くなったとか、江戸時代~明治時代に大阪の芸妓さんたちが節分の日に巻き寿司を食べていたとか、諸説あるようですが、広めたのはセブンイレブンでも、確かに昔からあった風習のようです。
ハロウィンやバレンタインデーはもちろん違いますが、日本には古くからの風習がたくさんあります。
そしてそれらはすべてが「良し」とされる風習ではないのです。
「おじろく、おばさ」という言葉をご存じでしょうか。
近藤 廉治(こんどう れんじ、1927年5月3日 - )は、精神科医、南信病院理事長。
長野県飯田市出身。1952年信州大学医学部卒。同放射線医学教室勤務。1957年「篩照射に関する基礎的研究」で信州大学医学博士、同年神経科へ移る。国立武蔵療養所、1970年長野県立駒ケ根病院長、1972年開放病棟の南信病院を設立、院長、理事長。
Wikipediaより引用
近藤 廉治氏のこの著書で、「おじろく、おばさ」について説明されています。
近藤 廉治氏は長野県飯田市のご出身ですが、この飯田市の近くに長野県下伊那郡天竜村(現下伊那郡天龍村神原)という場所があります。
この地で、16~17世紀ころから何百年も存在したのが「おじろく、おばさ制度」です。
昭和40年代になってもまだ3名のおじろく、おばさがいました。3名とも明治生まれでした。
村には耕地面積が少なく、みな貧しかった。
たくさんの子供を養う経済力がない。
なので、長男以外の子供を男性は「おじろく」女性は「おばさ」として、長男のために一生奴隷として無償で働かせるようになりました。
彼らは他家の養子になるか嫁ぐかしない限り、一生結婚もせず、誰とも交際どころか交流もせず、もちろん趣味も娯楽も許されず、非人道的な扱いを受けて生涯を過ごすのです。
子供の頃は普通に近所に遊びに行き、学校にも通っていたというのに、奴隷として働かされているうちに、彼らはいつしか無表情になり笑うことはもちろん怒ることもなくなりました。
人に会っても挨拶はできず、目も合わせない。
甥っ子(長男の子供)たちからも馬鹿にされ「自分はバカだから」と思い込み、また反抗することもなくただもくもくと働いていました。
近藤 廉治氏が昭和30年代に彼らに取材したところ、精神的な負因はなく身体的な異常もみられず、また記銘力(物を憶えこむ力)や知能のいちじるしい障害はなかったそうです。
また身の回りのことはでき、身なりもしっかりしている。与えられた仕事はきちんとこなすが、気を利かすような行動はできない。
読んでいて、とても悲しくなりました。
でも彼らは決して自分を「不幸」だと思っていないのです。もちろん幸せだとも思っていません。
希望もないけど悲観もしていないのです。
長男でないというだけで、こんな扱い方をされていた人たちが昭和になってもまだ存在していたなんて。
悪しき風習というのは、たくさん存在していたのでしょうが、こんなに最近までこんなに身近な場所であったことに驚きを隠せません。
「長男だから」「男だから」3人の子供を育てた私ですが、決してそういった言葉は口にはしませんでした。
自分が小さい頃「おねえちゃんでしょ」と我慢させられたことにあまり良い思い出がないからです。
なので、自分は3人の子供を平等に育てたつもりなのですが、そのせいか、うちの子たちは「おにいちゃん」「おねえちゃん」とか呼ばずに名前を呼び捨てにしたり「兄がさぁ~」と言ってます。
それは良いことなのか、悪いことなのか?(笑)
あ、私も大人になってからは、妹には「おねえちゃん」と呼ばれてないや😅
「〇〇ちゃん」と呼ばれてます。
で、甥っ子たちからも「〇〇ちゃん」と呼ばれてます。
うん、これでいい。
「おばちゃん」なんて呼ばれたくないもん。50代だけどさ(笑)