フィギュアスケート世界4大陸選手権放送の影響で視聴率が下がってしまった大河ドラマ『麒麟がくる』第4回。
13.5%。
それは仕方ないでしょう。
スポーツ中継はリアルタイムで観たい。
『麒麟がくる』は録画してた方も多いでしょうね。
そして私のようにBSプレミアムで夕方6時から視聴していた方も多いようです。
これを早麒麟というそうですよ。じゃあ、BS4Kで午前9時から観るのは早々麒麟か?
目次
伏線たくさん
やたら「本能寺」「本能寺」と本能寺を連呼してました。
伏線みえみえです。
「京の都に本能寺という寺がございます」
「近頃、本能寺は種子島にある末寺を通じて、ひそかに鉄砲を作らせている」
銃撃戦フラグ!
早くも最終回に向けて、パワーワードを散りばめています。
織田信秀屋敷にいた愛らしい若君は
織田屋敷に侵入した明智光秀はひとりの少年と遭遇します。
名を明かされる前から、すぐにピンときました。
この愛らしい少年こそ、織田家に人質になっていた松平竹千代、後の徳川家康です。
竹千代(家康)は6歳で、今川義元の人質として駿河に行く途中、戸田康光に捕らえられ、織田信秀のもとに送られています。
時は天正17年(1548)、竹千代(家康)は「この後熱田に送られる。」と光秀に訴えます。「嫌じゃ。母に会いたい。」
熱田。加藤頼盛のもとでしょう。
父は嫌いだという竹千代(家康)。
この時すでに、母お大の方は、父松平広忠に離縁されてましたからね。
演じている子役岩田琉聖くんが可愛いですねぇ。私が大好きだったドラマ『僕らは奇跡でできている』で高橋一生さんの子供時代を演じていました。
徳川家康
ショッキングピンクの着物姿の竹千代(家康)を見ていると、滝田栄さんだったりby『徳川家康』、内野聖陽さんだったりby『真田丸』、阿部サダヲさんだったりがby『おんな城主 直虎』、私の脳内でグルグルと走馬灯のように回りました。
いやぁ、楽しみじゃないですか。
で、風間俊介さんが年取って津川雅彦さんになるのかな?by『葵三代』
徳川家康と明智光秀、そして本能寺の変へ
光秀と出会った幼き日の家康。
この34年後、光秀は家康のせいで(?)信長に足蹴にされて叱責され、そのために本能寺の変を起こすのです。(もちろん諸説あり。本能寺の変を起こした理由はミステリーだからね。)
光秀は家康をもてなす席で失態をやらかすのです。
光秀が接待のために用意した生魚が腐っていたのです。
『偉人たちの健康診断』ではこの時光秀がレビー小体型認知症を患っていたために、嗅覚障害を起こしていたのではないかと分析していました。そのために魚が腐っている臭いに気がつかなかったというのです。
家康を精一杯もてなそうとした信長から激しい叱責を受けます。
それが、本能寺の変への感情となったという説があります。
本能寺の変への布石は、家康の接待を外される時に光秀が信長に叱りつけられ足蹴にされた・・・というもの。
今回、『麒麟がくる』での幼少の竹千代(後の家康)との初対面は、本能寺の変への伏線といえるかもしれません。
私は2017年の大河ドラマ『おんな城主 直虎』で織田信長を演じた市川海老蔵さんが、光秀に変わって家康のために御膳を整える姿、所作がとても美しく、なおかつ繊細な演技が印象に残っています。(衣装は閻魔大王orサリーちゃんのパパみたいだったけどw)
家康が本能寺の変の主犯格ではないかという説もあり、『おんな城主 直虎』ではこれを利用したような解釈となっていました。
家康が光秀の謀反を事前に知っていたという設定です。
そういったことを考えると光秀と幼い竹千代の初対面がいろいろな伏線になっているような気がしてくる。
徳川家康と干し柿
初対面のふたり、光秀は幼い竹千代(家康)に干し柿を差し出します。
「今は辛くとも、日が変わり月が変われば、人の心も変わります。いずれ母上にも会える日が来ます。無理をせず、待つことです。」と励まして。
泣くまで待とうホトトギス!また伏線です(笑)
竹千代は、この干し柿を成長した後も覚えているかな?
戦国時代の干し柿といえば思い出します。
以前ブログでも載せたことがありました。
hiro-beans-attack-no1.hatenablog.com
処刑に向かう途中、石田三成が兵士に「喉が渇いた。白湯がほしい。」と言うのですが、引き回しの最中に白湯はなく、「干し柿ならある」と兵士に断られます。
「干し柿は、たんの毒だから。」と断る三成を「これから打ち首にされるのに、健康に気を遣ってどうするのだ。」と笑う兵士たち。
でも三成は言うのです。
「大望を持つ者は最後まで命を惜しむ」
謎の百姓、菊丸
菊丸(岡村隆史氏演)は言います。
自分は百姓だけど同じ三河者として、あの御方の気持ちはわかる。今川義元の駿河と、織田信秀尾張。年中荒らされて、どちらの国を頼りにしなければやっていけない。今は我慢して尾張に頭を下げて、我が君を人質に差し出している。悔しいけれど、そうやってやっていくしかない。
菊丸は味方なのか敵なのか、まだまだわからない(架空の)人物ですが、この台詞も私は好きだった。
重みがあった。
干し柿といい、菊丸といい、良い場面でした。
泣けましたよ。
竹千代(家康)のその後
ドラマでは、光秀に諭された竹千代(家康)ですが、史実ではこの後熱田で人質としての生活を強いられます。
加藤頼盛のもとでは、周囲のものも同情して、竹千代(家康)にとって平穏な生活が続きますが、父が急死したり、今川家の都合だったりに翻弄され、今度は今川義元の人質として苦難の10代を過ごすのです。
といっても、今川家としては、松平氏の岡崎を利用しようとしていたから、虐待することなどなく、竹千代(家康)も精神的にはともかくとして一応無事な生活を送ることはできたのです。
桶狭間の合戦は永禄3年(1560)。それを機に人質から解放されるまで、竹千代(家康)よ、あと12年です。
今川義元と織田信長が戦った桶狭間古戦場公園は、私が幼い頃母に連れられてよく散歩がわりに訪れた場所。
謎が楽しい
織田家からの帰り道。山中でピンチになった光秀を救ったのは、謎の石つぶてでした。
一人や二人ではない、何人もの謎の人たちが、光秀を助けるために石つぶてを投げたのです。
光秀を助けたのは誰?
幼い頃お駒を火の中から助けだしたという通りすがりの武将が誰なのかも気になるところだけど。
それは光秀の父、明智光綱ではないかという声が多いです。
光綱は若い頃、よく京都に出かけたと於牧(おまき)の方が言ってましたし。
私も光綱ではないかと思います。
回想シーンとして、これから光綱が登場するのであれば、それは語りを担当している市川海老蔵さんが演じてくれないかなと私は願っています。