そんな孫文が日本神戸で行った講演会が有名です。
1924年11月28日、神戸商業会議所の主催した講演会で「大アジア主義」を唱えたのです。
97年前の今日です。
目次
日本で大歓迎を受けた孫文
1924年11月、孫文は航路で天津・北京へ行く予定でしたが、その前にちょっと日本へ寄ります。長崎を経て神戸へ上陸します。
移民法改正により日本人のアメリカ移住が禁止されたため、日本国内では反米感情の高揚と反比例してアジア志向が強まっています。
孫文は神戸で熱烈な歓迎を受けます。
11月28日、「大アジア主義」と題して、講演を行います。
「大アジア主義」で孫文が日本人に言いたかったこと
日本の日露戦争勝利などを評価しつつも、「西洋覇道の番犬か、東洋王道の干城か」と問いかけます。
ヨーロッパの大国ロシアにアジアの小国日本が勝利したことを評価しつつ(おだてた?)ロシアを「東方」に属する「王道」国家として描き出すことにより、孫文自身の「連ソ・容共」路線を正当化して、日本人にも賛同を求めたのです。
演説では飽き足らず、孫文は記録を加筆します。
■孫文が書き足した一節■
あなたがた日本民族は、欧米の覇道文化を取り入れた上に、アジアの王道文化の本質をも持っていますが、今後は世界文化の前途に対して、結局のところ西方覇道の手先となるのか、それとも東方王道の防壁となるのか、それはあなたがた日本国民の、詳細な検討と慎重な選択に懸っているのです。
とどのつまり「日本はアジアの模範となる国なのに、今、結局欧米列強と一緒で西洋覇道の手先となって、アジア・中国に軍事的に進出してくるの?それとも武力ではない芸能文化をもって豊かな国家関係を作っていくのか?どっち?」と日本世論が長期的には政府に外交政策の変更を迫ることを期待したわけですね。
参考文献
リンク
孫文は魅力的な人で、たくさんの日本人が彼を応援しました。
また女性にも大変もてて、生涯で内縁も含めて何度も結婚しています。
その中には日本人もいます。
女性にだらしないというより、それだけ人を惹きつける人物だということでしょうか。
う~ん、何とも言えないな。